謙虚、であること

朝起きてテレビのスイッチを入れますと「寒締めほうれん草」なる特集。普通のほうれん草の種まきと違って、やや遅い時期に種まきし、ピニールハウスで散々成長させたところでいきなりそのビニールを剥いで真冬の寒気にさらすと、大きく育ったほうれん草の葉っぱがしおしおに萎れ、そこにまた太陽光をあてることで勢いを取り戻させ、しかし、夜になるとただただ寒気にさらされて再び萎れてしまうより他無く・・・・というようなことを二十日間くらい続けていると、普通のほうれん草より甘くてミネラル豊富なほうれん草ができる、なんてミニ特集を見たすぐあとで、今度は、青森あたりで盛んな「寒シジミ」漁、なんつう特集に遭遇。寒さの中でも地中深く潜り込んで成長するシジミの旨さがどれほどのものなのか、それを食するレポーターを、まあ、羨まずにはいられない特集でした。

結構、しょっちゅうなることなんだけど、私の場合、ある思考的なブレイクスルーがあったりすると、「俺ってスゲー」的な自我肥大が起こり勝ちで、昨年暮れから本年の今の今まで、ちょっとこれまで無かったくらいの洞察があって、やっぱ、俺ってすげーなあ、みたいな思いもありつつ、またもやいつもの自我肥大に陥っている、という不安もありつつ、それでもその洞察の一端でも語ってみようかと思うと、妙な震えが起こってくるところもあって、その震えって、単に、この冬の寒さを示してるだけかとも思って(思いたく)いたんだけど、どうやらそういう単純な話ではなくて、このことについて考えていたら、様々なファンタジーが浮かんできて、どうも、その寒さ・厳しさって、私の家族がしがちな失敗に対する嘲笑というか批判というか排除というか、その手のネガティブな反応の象徴としか思えなく、自分の膨れ上がった思い上がりを「寒締め」してくれるのが、そういう外側の人々の嘲笑や批判や拒絶やその他否定的反応で、そういうものこそが私という存在を味わい深くしてくれる成長因子なのかもしれない、という風に考えられるようになれば、まさに「謙虚」でいられるのかもしれないな、などと考えた私ってやっぱり大したもんだよなあ。

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