挨拶まわり

このごろめったに合わない人やらこれまで一緒に飲んだことがないような人から、立て続けに突然電話がかかってきて飲みに誘われたりして妙な気分でいたのだけど、ちょっと十ン年前のことを思い出し、もしかして・・・な妄想が回り出した。

http://d.hatena.ne.jp/fkj/20050723
http://d.hatena.ne.jp/fkj/20050724

に書いた友人は、死ぬ何週間か前から、それほど親しくない人も含めて、やけに多くの人間と飲みにいってたため、「あれってさあ、最後の挨拶回りだったんじゃね」みたいなことみんなで話してたことがあった。

自分からどうこういうことはなさそうだけど、なにか不意の事故とかで逝っちゃうんじゃないか、俺。

というか、今、かなり逝きはじめてるから、挨拶しておかなきゃならないほど生きながらにして逝かなきゃならないということなんだろうか。

そんなこともあって(ほんとは全く関係がない)、東京に住むようになって20年近くなりますが、初めて明治神宮に行ってきた。

まあ、パワフルな場所だこと。

参道はまさに産道でしたね。

社殿、っていうのか、中心の建物があるところ、あん中から見る森の大木のモクモクとわき上がる色とりどりの葉群れが、わさわさゆっさゆっさしてる図というのは、スラヴォイ・ジジェクが「斜めから見る」で引用してたハインラインの小説の、神様がメンテナンスしてる最中の世界のもくもくした様子を思い出させた。

なんか、どっかで書いた覚えがあるけど、そのモクモク感は、私の感じる「存在」というもののメタファーにしか見えなかったのでした。

そんな「存在」のただ中に切り開かれた人工物の中には、入れ子のようにまた大木が植え込まれていて、もくもくわさわさと葉っぱを茂らせており、なにやらめまいが。

中学くらいの修学旅行生男子が2人、○拍○礼、とかいうのをやっていたけど、いい大人なのにそんなことも知らない私は、お参りもせずに退散する。

出口の鳥居の辺りで、ちょっと気になったので引き返し、大きな通りからはずれた通りにあるベンチに腰掛けて、(なにが気になるんだろう)、としばし物思いにふけっていると、私の親指大ほどにもなる巨大な熊ん蜂が目の前で数秒ほどホバリングしガンを飛ばしてきたので、対抗しようと思ったけど怖くなってつい手で払ってしまった。

今まで生きてきた中で見た一番巨大な蜂だったかもしれない。

ミンデルワークショップ後日記

昨日は、書いているうちにどんどんとワークショップ当日の高揚感がよみがえってきて、それが、(どうもこの部分の書き方は感覚とズレがある)、というように思い出したら、いきなり書いていくノリが悪くなったのであとで直そうと止めておいて、頭から最後まで通しで読んでなかったミンデルの「紛争の心理学」を再読し始めたら、ミンデルの講義のときに感じた、猛烈な情報量の多さに頭が爆発しそうになった。

で、その情報量の多さ、というのは、講義の内容や書いてある内容というわけではなく(同じ時間、同じ文字数でなにかを伝えようとしたら、よっぽど馬鹿でない限りそうたいして込められる情報量に差は出てこないだろう)、それ以上に、ある文章を少し読み進めると、ワークでの出来事やそれ以外での私の生活や読書体験の中からのデータがズルズル連想として引っ張り出されてきてしまって、二次元の情報が立体化・時間化して立ち上がるようなところがそのまま頭の中でも膨れ上がっていく感覚に繋がってる感じ。

私はそれほどでもなかったのだけど(なにしろ面白かったから)ワークショップ三日目あたりは、ミンデルの理論的な講義の時間、かなりの参加者が眠いということを訴えていて、これって、身体というより脳のほうの活動量がたいへんなことになってるんだろうな、とか思った。

いい読書体験って、本来そういうもんだろうと思うし、それは様々な学びの場においても目指されるべき目標という気もする。立体化・時間化、って、要するに身体化・現実化ということですよね。

そうして、話は昨日のことに戻るのですが、ミンデル本、何ページが読んでいるうち、上のように頭がフル回転してきたため、まだ戻りきっていない体力がついていかなくなったのか寝てしまったのでありました。

昨日は、つい「休んでる場合じゃない」、と書いてしまったように、高揚感が落ち着いてくると、この、なんというか、多幸感とでもいうか、を、自分の活動としてつなげていかないといけない、みたいな使命じみた思いが頭をもたげてきてて、ところが、それを、具体的にどういう活動へとつなげていけばいいのか、ということを考え出すと、もどかしさやら焦燥感やらといった、私的にはなじみの感覚も沸いてきていた。

それは本を読んでいるときもずっとあって、少し眠ろう、と本を置いたときには、なんか焦ってんなあ、やだなあ、みたいな気分もあった。

小一時間ほども寝たんだったか、目が覚めて、でもしばらく目を開けずに、睡眠の余韻を味わうようにしてたら、(あー、そうそう、今はこうやってボケーっとしててもいいんだ。多分、なにかしなきゃならないときはそういう状況に陥っていくんだし、今は、こうして、過去の自分が作ってきたポジションに甘えたらいいんだ)、ってな考えに浸ってるうち、なんというか、この考え完全に正しい!、みたいな、全肯定の気分になって、またも、なにやら、ありがたやありがたや、な、おめでてー気持ちになったのでした。

で、その感謝の意を表すためについついやってしまったことが。

五体倒置といってチベットの僧侶なんかがやる、祈りを捧げるために体を地面に投げ出す行為があって、私は昨日は横になってたので倒置はしなかったのだけど、五体倒置で体を投げ出す前に行う、両手首の内側を合わせるようにして花の形をつくり、それを頭頂、額、のど、胸、上腹部、下腹部、恥骨、会陰という、いわゆるチャクラという奴がある部分に、その「手の花」を捧げるようなことを、我知らず(ということもなかったけれど)してしまった。

その心は、というと、眠り込む前、まずは、眠いなあ、という感じがあってそこにはすぐ従うことができた。また、腹の底がもやもやと・・・、な焦りの感覚にも気は向いていたし、それを嫌だなあ、という思いにもまた開かれていた。そうして目覚めてみたときには、今、自分、甘えてんじゃん、過去の自分(とそれをとりまくすべての環境)に抱えられて、こうしてのほほ〜んとしていられてんじゃん、ということにも否定的にならずに感じられてた。

そういう「感覚」に対して、開いた態度でいられる、ということ、そこに、深淵というかなんというか、大いなるもの、とでも言いようがないある感覚、予感、がかいま見え、それは、腹の底のもやもや、であるとか、頭が膨れ上がって爆発する感じ、であるとか、平日の昼間から毛布にくるまれてまどろんでいる甘やかさ、であるとか、心身が相関したすべての感覚があったればこそ、それらすべてを包み込む、大いなるもの、とでもいいようがないものが表れてきていた。

精神分析家、北山修の「こころの消化と排出」あたりに詳しくあったと思うのだけど、気持ちって、「腹が立つ」であるとか「胸が張り裂けんばかりに」「甘える(味覚)」「(頭の中の線が)キレる」「(胸が)ムカつく」「腑に落ちる」・・・といったような身体との関わりの中で表現されるわけで、「怒った」から「腹が立つ」わけではない。むしろ、腹を中心としたあたりにウネウネするわけのわからないものが発生し、それを外(親など)から「怒り」という風に同定された、というのが、発達の中での筋道であろう。

私の身体という場の中にあるもの、それらすべてに開かれてみるよう試みてみる方向にほの見えるなにか。チャクラ、といったようなヨーガ的な考えってそういうことなんでしょう。

で、本筋はここからなんですが、そうやって思わぬいい気分で起きあがってみると、なんかすげーよく見えるんですよ、周りが。

私、裸眼で両目視力0.1たぶんない(左は確か0.02くらい。右は忘れた)くらいだと思うんですけど、なんか、部屋の中のものがやけにはっきり見える。もちろん、メガネをかけたときほどしっかりと見えているわけではないのだけど、いつも、ぼやけて白濁がかった感じの視界が、えらくはっきりしている。

この感覚は、スレテオ写真(ランダムドットステレオグラムとか)に集中したときにも感じられたのだけど、これといってなにもしてないのに、ステレオ写真を見た時以上にいやにはっきり周りが見え、あまりのことに外に出て行って、銭湯などにも行って、周りを見わたしても、俺、メガネいらねーんじゃないの?というくらい、もう、ものすごいよく見える。

でも、これは、視力検査的な見え方とは、たぶん全然違ってて、なにか文字を読もうと視線を集中させた途端、またいつもの状態に戻っちゃう。今もパソコン画面はメガネして眺めてるし。

その、異様に辺りがよく見える状態に興奮してしまって、昨日、書き始めて止めておいた分は後回しにして、そのことについて、メガネをかけてmixi日記の書き込み画面に直接長々と書き込んでいると、ここんとこ調子の悪かった私の愛用ブラウザsleipnirが強制終了!。

一瞬、ウガ!と思ったけれど、これは、たぶん、先に書いた分をupせえ、という流れと判断し、今日、このことについて改めて書いている現在、昨日のような見えは消えてしまいました。

この経験って、いったい、なんなのか。絶対に関係あるとしか思えないのは、先日書いた
http://d.hatena.ne.jp/fkj/20060501
眼はどこにいてもいい、という話で、この、眼はどこにいてもいい、というのは、今回プロセスワークの中で出てきた、私のダンスとも大いに関係しているのだけど、今日はさすがに疲れてきたのでまた次回。

続きのためのメモ。
問題は目だけにあるわけじゃない。脳全体、というか、身体全体との関係。それと、なにか「対象」を見る、という視線と、武道の「居つき」との共通性について。そうそう、なにか「対象」を見る、っていうのは、完全に居ついちゃってる状態だよなあ。それと、昨日の感覚は、視野がとんでもなく広がっていたのと、世界の色味がかなり感じられていた、ということ。

この経験。うまいこと意識的につかめていければ、いつかメガネがいらなくなるような気がするんだがなあ。
http://www.alexandertechnique.co.jp/modules/weblog1/details.php?blog_id=18
彼の本、おそらく翻訳は出てきまい。ちょっとがんばってみるしかないか。

撤回(ミンデルワークショップ体験記①)

休んでる場合じゃない。

というか、月曜、ほとんど使い物にならないくらい一日呆然としてたらだいぶ抜けてきたのか、昨日あたりから徐々に普段の、ちょっと低めのテンションに落ち着きつつある。

したら、なんかしらん、このまま、いろいろありました、ってだけじゃ絶対まずいという気がおこってきたので、書ける範囲でできるだけ細かくなにがあったか記録しておきたいと思います。

そういえば、ワークショップ終わって帰った日曜の夜、大家さんが所用でうちに来たので、よもやま話なんぞしたのだけど、その時の会話のテンションが、我ながら、俺どうした?、というくらいハイになってて、口には出さねど大家さんもかなり変な顔してた。

さて5日金曜、ワークショップ初日。・・・・と書いて、順番にいこうとするものの、それだと今の感覚に合わないので、行き当たりばったりに思いついたことを書いていくことにします。

ワークショップは三日間とも、午前10時から午後5時までとなっていて、大まかに、朝の一時間半くらいを、その日行うワークとそれについての理論的説明がエイミー、アーニー2人からありトイレ休憩した後、午前のワークのデモンストレーションをご夫妻に見せてもらってから、参加者各人で行って、1時をたいぶ越えてから一時間ほどの昼休み。昼休み中、日本人の認定プロセスワーカーから、チュートリアルということで希望する人だけが参加して午前中のことについての質問だとか、プロセスワークの基本的なことの説明だとかを床に車座に座りながらしてもらう。中には食事をしながら話を聞く人もいた。んで午後は午後のデモ、それぞれでワーク。時間があれば最後に何人かのワークの様子を、皆の前で見せてもらって終わり。というような流れ。

チュートリアルで思いだしたことが一つ。チュートリアルの担当者は三日間とも違った人がやって、私は初日は参加せず、二日目は、車座になっているすぐ外側で昼寝しながら話を聞き、三日目、これはエイミーの通訳をやっている人(申し訳ない。名前を失念してしまった)が担当だったので、ちょっと気になり、はじめから参加してみた。

これが、その地べたに座った感じとか三日目で場がこなれてきたせいもあったりしたのか、すごい、大昔の部族の会議みたいでいい雰囲気だったわけです。で、プロセスワークでは、その場の雰囲気というものを、(いいものであれ悪いものであれ)ものすごく大事にするわけで、ただ、それは雰囲気というくらいだから、各人でどう感じるかは違ってくる。

そんなチュートリアルの最中、ある質問があって、それに答えるために担当の方が、じゃあ、ちょっとこの場の感じを感じてみますけど、と軽く自分の中に集中したんです。したら、「あ、なんか泣きそうになってしまって」と声をつまらせてしまった。それは、ここにこうやってプロセスワークを学ぼうと真剣に聞いていらっしゃる皆さんがいて暖かい気持ちで云々・・・、とあまり明確ではなかったけれど(雰囲気だし)、もう、その場にいた私にも、非っ常〜によくわかる話で、私も、ついついもらい泣きしてしまいそうになっちゃった。

これは、ちょっと、自分でもかつてなかったようなことなんで驚きかつ感動したのでありました。

大体、私は、どういう集団、どういう場にいても、他の人が楽しそうだったり感動していたり怒りまくっていたりしたところで、(んん、なんか違うんだよなあ)であるとか(周りの雰囲気に合わせといたほうがいいか)、というように常に異物感というか異質感というか疎外感を感じてて、場・集団と一体になった感じって中学の時、部活でバスケしてたとき以来、なかったんじゃないか。あ、一回あった。ちょうど十年前の夏に後藤ひろひとの一週間ワークショップの時。あんときも全然シニカルな感じがなく場の雰囲気にとけ込めてた。

で、そのいい雰囲気というのはチュートリアルの時だけじゃなく、二百人前後ほどもいる全員がミンデル夫妻の話を聞くときにもあり、初日が終わった後、(これは最終日、絶対泣く人が出てくるな)と思ってたんです。しらた、案の定、最終日。

最後の最後、会場の椅子を片付け全員で十分間ほど、アボリジニの女性が演奏し歌っているという音楽を聞きながら、各人がワークの中で紡ぎ出したオリジナルな踊りを一斉に踊った(Dance your village's original dance!・・(C)ニューエストモデル)。ちょっとしたクラブ状態。というより、やはり、部族の祭り。私はこの踊りの中でも、(あ!、つまりこういう感覚で世間を渡っていけばいいんだ!)という強い気付きがあって、もっともっと踊っていたかったんだけど、割とあっさり終わってしまって、最後に大きな輪を作ったところで、真ん中あたりに取り残された2人の女性。一人は大泣きに泣いていて(最終日に私の席の前に座ってた人)一人はそれを慰めてハグしてる。

もう、このワークショップではそれ以外でも、美しい!、と言う他どう言ったらいいの?、というシーンがいくつもあったのだけど、これもその一つでした。

と、こういうことばかり書いてたり、猫神様が云々、みたいなこと書いてると、なにやら新興宗教?、とか思われちゃいそうなので、言っときますけど、ミンデルは、いつでも、こういう日本的な穏やかな場で、尊敬されたまなざしの中でばかりワークしてるわけではない、ということなんです。

「紛争の心理学」(講談社新書)を読んでもらえればわかると思いますが(これはみなさん是非に読んでもらいたい!)、ベルファストベイルート、テルアビブ、ケープタウンボンベイ、ロサンゼルスの低所得者層居住地域、(うっすらとした記憶なんだけどKKKが絡んだ会議にも出席して非難された、という話もあったはず)、財政的な危機を迎えている企業・・・といった、とんでもない場所での葛藤解決のための会議にも「ファシリテーター」(議事進行役、というより議事促進者、といった感じか)として参加し、時には罵声を浴び、時には大失敗もしたらしい。

今回、この東京に来る前に、オーストラリアで一週間ほど「ワールドワーク」(集団の葛藤解決のためのワーク、というような感じ)の開催があったのだけど、参加者の話によると、このワールドワーク、相当にソフィスティケートされてきていて、東京以上に感動ものだったようです。ああ、なんということだ!英語もできないくせに参加できなかったことを嘆いてしまいたい私。

そのような紛争地に踏み込んでの会議となれば、自ずと、険悪な雰囲気、重苦しい沈黙、激しい怒鳴りあい、という困難の中に身を置かなければならないわけで、テレビ画面や新聞紙面のこっち側から、国際情勢がどうたらこうたら偉そうに話しているコメンテーターやら政治家やらとは、まるで違った活動をしている人なわけです、ミンデル夫妻は。

で、そういう場でさえも、そこにあるのに見過ごされている「雰囲気」を自覚していくこと、ただそれだけで、まったく思いもよらない建設的な方向に話し合いが流れていく、という記録が「紛争の心理学」の中には描かれている(ところでこの本の原題は「Sitting in the fire」炎の中に座す、で、そっちのほうがずっといいと思うんですが皆さんはいかが?)。そこにあるのに気付かれていない感情・雰囲気を感じるためには、あえて激しい感情をはき出すことで、場がさらなる混乱に陥ることをも恐れない。いや、もちろん、恐れもあるのだけど、その恐れも、きちんと自覚していく。

・・・

でも、こういうの、活字で読んだだけだと、普段の私みたいに、え〜?空々しくない?、となってしまうかもしれなさそうなところあるからなあ・・・


今回のワークショップでは三日間で二回づつ計六回のワークをもったのだけど、そのそれぞれでパートナーを組み、最後だけは3人でやったから、都合7人の見知らぬ人とコンタクトをとったわけです。で、そのそれぞれ、まったく見知らぬ人とのワークを十数分もしているうち、普通、こんな深いこと他人に話さないよ、というような部分が、我知らずあぶり出されてきて、それって嫌なことかというと、そうじゃなく、もう、ものすごく受け入れてもらった、という感じがあった。

前にどこかで書いたかもしれませんが、私がこういう場で、妙に深刻で重たいことをさらけ出していたのは、どこかで・・というか、完全に、そういうところを受け止めて欲しい、というか、ぶっちゃけて言うと、甘えたい願望があったんでしょう。なんとなく「理解」はしてたけど、身に沁みては感じてなかった。というか、感じないようにしてた。

よく考えてみると、いまいち、人と、とりわけ女性と向き合うことに躊躇を感じてたのは、そういう甘えたい願望を抑圧してて、でも、妙に深刻なところをさらけ出すことで、受け止めて受け止めて光線を無意識にさらけ出し、それなりに親しくならない限りそんなもの普通の人は受け止める必要ないし腰が引けちゃうわけだから、そのフィードバックをこちらでも感じてしまって、さらに関係はぎこちなくなる、とそんなところがあったんじゃないか。

ふと、思い出したのだけど、以前女の子に(ぎゅ〜っと抱きしめて欲しい!)と強く思ったのに、言えなかったこと思い出した。アホやw。

まあ、そういうね、やや深い部分、普段の生活から見ればドロドロしたところを、まったく見慣れた当然のものとして扱うすべ、というか姿勢(エイミーの言葉で言えばメタスキル)がこのワークにはあった。いや、場にあったというべきか、ミンデル夫妻にあったというべきか。それはどうでもいいか。とにかく、はき出したものを受け止められた。受け止めてもらえた上、思わぬ知恵まで引っ張り出してきてくれた。それは意識的になされたものではなく、絵を描くことや踊ること、関係性の中にいるその場の力を感じてみること、といったような、あくまで創造的なところからわき上がってきたものだった。

その知恵はその場の力から出てきたものだった。

私とワークしたある女の子は、(これはちょっと止めといたほうがいいじゃないの)というような、かなり激しい感情が透けて見えたため、こちらの腰が引けてしまったのだけど、その「腰が引けてしまった感じ」そのものに、また、多大なる知恵が潜んでいた。まさに、ユーリカ!(相手と私のプライベートなことになるので詳しくは書けませんが)。

そして、おそらく、対立する、だけではない、混乱しきった地域の問題を解決するためには、まさに、この場の力(雰囲気といってもいいし、ミンデルっぽくエッセンスと言ってもいいだろう)、場の中にあるもの、にこそ目を向ける、自覚することこそが必要であり、その自覚のためには、まずは「自分」という場の中に、なにがあるのか自覚できていなければいけない。

甘えたい気持ちがあるのに、それを見ないようにしていたら、甘ったれた人間に対してひどく冷たい対応をし(私には確かにそういうところがある)、集団の中でそういう人の声を抑圧するようになるだろう。

内側の問題は外側の問題だし、外側の問題は内側の問題だ、ということ。

なんだか、ワークしてたときのハイテンションが戻ってきた感じがあったけど、今、やや下降してきた。

今日は、限界なのかな。ということで支離滅裂に続きは明日(思いついたら今日書くかも)。

終わってしまった・・・

全日程終えました。
日常に戻るのがつらいです。
こっ恥ずかしいことに「愛」ってなんぞや、ということを教えられた気がする。

でも、一人、良い気分に浸ってるのはミンデル夫妻は許してくれないだろう。あのにこやかな笑顔のままで。

来年は来日することができないらしいご夫妻だけど、自分からポートランドに行きたくなってしまった。

エイミーのようなパートナーが欲しい。

どうやっても言葉につくせない。しばらく休んで、どう生きていくのか、ゆっくり“踊り”ながら感じていきます(頭で考えるのではなく)。

ああ・・・終わっちゃったなあ。
(黄昏れてる暇なんかねえ!、という叱咤も聞こえるけど、やっぱ少し休ませてください。すべてのお師匠様たち)

宇宙の子供はグルグル回る

どうです。完全に逝ってしまってるでしょう。

や、ほんとに、逝ってしまいました。

今日のプロセスワークも、ぐわ〜、やっぱ、すげえええ、としか言いようがなくって、それもあってかなくってか、寝てもないのに乗換駅を過ぎてしまったりしてました。

ただ、ワークとのこととは関係ないところで、やや気鬱になることがあったためup↑down↓相半ばする感じで、今日までに返さなきゃならない本を練馬の小竹図書館に返しにいったわけです。

up↑down↓相半ば、とは書いたものの、ややdown↓が優勢だったため、せっかくだし、ワークの中で出てきた、ある動き、ダンシングをしてやれ〜、とあまり人の通りがないのをいいことに、踊りながら歩いていると、あ!そうか、そういうことか!、と、なんだかよくわからないのだけど、気鬱に感じてた事柄が、そのままでいいんだな、というか、そうなるのがいいんだ、としか思えなくなってきて、段々段々、愉快になってきたんです。

そのダンシングには名前がついてまして、いわく、「宇宙の子供」。これはそういう踊りを教えられた、というわけではなくて、私自身が、ある種の絵を描き出す中から自発的に生まれてきたもので、それは、胎児がグルングルンと宇宙のそこかしこを飛び回る、というようなイメージから出てきたものなんです。そして、それには、個人的な意味が、非常に深長に形象化されておるわけです。

そういう踊りを踊って歩いていたところでちょっと、ちょっとどころじゃないな、もう、「キミはこっちに来なさい」と言われたとしか思えないことが・・。

前に「ニャンコ大先生」のことについて書いたことがあるの覚えてらっしゃる方、いますでしょうか?(http://d.hatena.ne.jp/fkj/20060208)。

小竹図書館には、あの後も、何度も何度も足を運んでいるのだけど、例の大先生には一度も再会することはなくって、あまり気にもしていなかった本日、例の遭遇場所を通りかかった時に、クレイジーに踊りながら歩いててハッピーになってる状態で、(あれ?あの猫、いないかなあ)とチラと思ったわけです。

で、いくらか辺りを探してみたけれどいる様子はなく、まあ、そんな都合よく出会えるわけないよな、と思って10mほど歩いていったところ背後から、「ニヤオ」と呼ぶ声。

「おおお!、ほんとに出てきた!」とびっくり感動して振り返ったら、その猫、こっちに向かって駆けよってくる。

すごいです!ニャンコ先生!、と不肖の弟子である私が手を差し出して触ってしまうと、先生、きびすを返して(って猫にそういうのもおかしいけど)距離を取られてしまった。

これは失敗、とちょっと残念に思い、2mほど離れたところから、それでは今日は失礼します、と本を返しに図書館まで行き、その戻りにもう一度同じ所を見るとそこにはいなくて、別の、明かりのあるところで、何かちっちゃな虫でも追っかけているのか、実に楽しそうにダンシングしてるではありませんか!

それ見たら、もう、俄然、(俺って完全に宇宙の子供〜)、としか思えなくなってきてしまってしばらく師匠のすばらしい動きを堪能させていただきました。

私が見ていたのに気付くと、またも私のとこに近寄ってきてくれるので、今度は失敗しないように、自分から師匠の身体に触れるなどという無礼を働かないように、手をダランとさせておくと、そうそうそれでいい、と言わんばかりに身をすり寄せてくれました。

ああ、もう、師匠、ありがとう。

そして、姿小さき我が師匠は、ある意味、私という宇宙の胎児、でもあり、私もまた、宇宙の胎児としてへその緒でつながっている、という感覚、そんなものを非常にリアルにもたらしてくれたのでありました。

どう言ったらいいのか、なかなか手のつけようがなかった孤独癖というか、に、ものすごい大切な薬をいただいた気分。

ワークでは、さらに、私の業病だとも思っていた緊張癖にまでも、これまでの洞察とは次元の違う洞察が得られ、もうですね、一気に、逝っちゃっていいや、逝っちゃってもどうやら大丈夫そうだ、という結論に達しました。

今、全然、酒飲んでないですよ。でも、完全に酔っぱらってるw

なんという日

面倒なんでリンクとかしませんが、去年暮れ、はじめてアーノルド・ミンデルという人のプロセス指向心理学を知り、もうこれしかない!、という勢いで日本のプロセス指向の協会で資格プログラムを受けようとしたところが、相手側(協会サイドの人)からも、もちろん、私のほうからも、どうやら、この資格プログラムに入っていくのが私の「プロセス」ではない(私の人生ではない)、という結論が出てきて、それでも、自分の中で核となる思想と言えばミンデル、ということに変わりはなく、その上で、アレクサンダーのワークなどにも参加していたのですが、この5月5日、6日、7日、の三日間、そのプロセスワークの生みの親、アーノルド・ミンデルと、ほとんど共同開発者とも言って良い奥様、エイミー・ミンデルが来日しワークショップをするということで一応(一応、という程度の思いで)参加申し込みをしていて、それだけはまっているのに、今日までアーニー&エイミーのワークショップについて書いてこなかったのは、期待しすぎてそれほどでもなかったら、あれだしなあ、という一抹の危惧もあったからでして、参加して良かったらその時書けばいいや、と思っていた本日初日・・。

この先、五月五日という日を、何回迎えることができるか知りませんけれど、少なくとものこれまでの人生の中で、五月五日という日を特別と思った日はなかったし、今後も、今日という日を越えるような五月五日を経験をすることはないでしょう、というような日になりました。

具体的なことがらについては、明日、明後日(日付から言うと今日明日ということになるか)の日程が終わってから、書きたいと思っておりますが、とりあえず、今日は、そのワークショップが終わった後、横浜はootany邸にて「おいしいもの会」が開かれ、そこにおよばれしていたことに、なんというありがたさ、という思いを禁じ得なかったことを言っておきたいのでした。

はっきり言って、ミンデルのワークショップでは、ほとんど、「あっち」、というか、「トランス」(変性意識状態)といってもいいような、ぶっ飛んだ感覚の中で、あれやこれやの経験をするわけでして、その中で、以前からある程度「理解」はしていた、(俺って自殺するか発狂するかどっちかだよなあ・・・)、という思いが、全く予想もしてないような遊びの中から析出してきて、ああああああああああ、そっかああああ、そういうことかあああああ・・・・・、と、気付きがもたらされたりしたことで猛烈にのぼせ上がり舞い上がった身体を、ちょっと待て、と現実に引き寄せてくれるのが、本日ootanyさん会にいらっしゃったマイミクな方々はじめとする人たちなのだ、とつくづく痛感したのでありました。

や、ほんと、みなさんがいなかったら、たぶん、もう、手がつけられないほどすごいところに「舞い上がって」(そして消えて)いたと思われるような、ある種の、危なさを抱えているのが、はっきりとわかりました。

思い当たる節ありすぎて、笑ってしまった。

何日か後に、どうせまた書くんでしょうけど、今、確か65歳のミンデルが生きているうち、一度でも直接会う機会があれば会っておいた方がよろしいと思う、と、なんとしても言いたくなってしまう。どうでしょう、今、フロイトユングが生きていて講演をやる、と言ったとしたら参加したくなりません?。なりませんか。じゃあしょうがない。

そんなことはともかく、たぶん、ここ、2、3年のうちで、もっとも贅沢な夕食をいただいてしまった、第三のビール的な食生活を続ける松原でした。

つつじ 花摘み 太極図

東京30℃!(まであと一歩)

夕方、Tシャツで散歩した。

目白駅から池袋駅に向かうJRの線路は、昔、川があったところにでも通したのか、少々、低まったところを走っていて、その斜めに下った縁の部分につつじが植わっているところがある。

花を愛でる習慣というのは、酒を飲むのに桜を見るくらいでそうそうない私ではあるけれど、なんの花が好きかと問われたら、どうも、「つつじ」と答えるような気がしてきた。

実家がある県の県花がつつじだったということもあるのか、比較的近所(田舎だから近所といってもそれ相応に遠い)の公園には、まさに「つつじヶ丘」と言いたくなるようなつつじのびっしり植えられたところがあって、そのつつじヶ丘の中には人が歩けるような、ちょっとした小道が迷路ではないんだけれど迷路的にくねくねと通されていたりしていて、子供心にその中を走り回ったりするのが楽しかった覚えがある。

だいたいこのゴールデンウィーク時期に最盛期を迎えているためか、なにか、その、新学期を迎えて一月たち、ちょっと息入れするようなほっとする感覚とつつじの記憶が一緒になっているようなところもある。

家のあるすぐ近くの山にも、自然のつつじが生えていて、よくその花を食べたりもした(笑)。や、結構、おいしいんですよ。

ちょうど同じ頃には、りんごの花も咲いていたはずで、中学くらいまでは春を感じるのは、桜ではなくつつじやりんごの花だったような気もする。というか、夏休みまで祝日がない暗黒の(おおげさ)日々が続く前の一段落、みたいな意味がゴールデンウィークにはあったから、そのへんの感情と複雑に絡み合っていたのかもしれない。

今から思うと、りんごの花の、押しつけがましさの無い感じがいいように思うのだけど、実家にいたときは、花摘みといって、たくさんついた花を適度に摘んで、残した実に栄養を集中させるための作業を手伝わされたこともあって、りんごの花にいい思い出はあんまりない。

と、まあ、似合わないこと書いてしまってますが、以前どっかで書いたと思うんですけど、最近、気分が落っこちると、世界全部が悪意を持って自分にあれこれ出来事を配置しているように感じてりしてたのが、この2、3日、ちょっと自分でもわけがわからないくらい、非常に、鷹揚で愛にあふれた気分(笑)になってたりするんです。どれくらい鷹揚かと言うと、細木数子も許せてしまうくらい。細木ファンの方、ごめんなさい。

それと関係あるのかないのか、まあ、あるとしか思えないのだけど、ちょっと、この一週間ばかり、「眼」の使い方を意識的に変えていて、書くと長くなるので書きませんが、簡単に言うと、「眼はどこにいてもいい」と思うようにしたところ、視覚だけでなく、ありとあらゆる感覚に、妙な変化が起きてきたのでした。

そうして、その感覚やらアレクサンダーの「居てもいい」という感覚やら対人心理やら年初に述べた課題やらが、いつぞや書いたフォーカシングの理屈へと思考を再帰させ、いろんなものを新たな観点から見えるようにしてくれることは、また、ハイな気分を上昇させてくれ、なおかつ、この先、再び暗い穴へと落ち込んでいくことにも開かれているため、無理にこのいい感覚をキープしなくてもいい、という余裕があったりして、それが、実に写真の太極図を思い出さずにはいられないのでした。

・・・・。ここに書いた分量の倍くらいかけて丁寧にこのへんの感覚について書いておきたい気もあるのだけど、めんどくさいからこれでいいや。今、なんか、気分いいし