宇宙の子供はグルグル回る

どうです。完全に逝ってしまってるでしょう。

や、ほんとに、逝ってしまいました。

今日のプロセスワークも、ぐわ〜、やっぱ、すげえええ、としか言いようがなくって、それもあってかなくってか、寝てもないのに乗換駅を過ぎてしまったりしてました。

ただ、ワークとのこととは関係ないところで、やや気鬱になることがあったためup↑down↓相半ばする感じで、今日までに返さなきゃならない本を練馬の小竹図書館に返しにいったわけです。

up↑down↓相半ば、とは書いたものの、ややdown↓が優勢だったため、せっかくだし、ワークの中で出てきた、ある動き、ダンシングをしてやれ〜、とあまり人の通りがないのをいいことに、踊りながら歩いていると、あ!そうか、そういうことか!、と、なんだかよくわからないのだけど、気鬱に感じてた事柄が、そのままでいいんだな、というか、そうなるのがいいんだ、としか思えなくなってきて、段々段々、愉快になってきたんです。

そのダンシングには名前がついてまして、いわく、「宇宙の子供」。これはそういう踊りを教えられた、というわけではなくて、私自身が、ある種の絵を描き出す中から自発的に生まれてきたもので、それは、胎児がグルングルンと宇宙のそこかしこを飛び回る、というようなイメージから出てきたものなんです。そして、それには、個人的な意味が、非常に深長に形象化されておるわけです。

そういう踊りを踊って歩いていたところでちょっと、ちょっとどころじゃないな、もう、「キミはこっちに来なさい」と言われたとしか思えないことが・・。

前に「ニャンコ大先生」のことについて書いたことがあるの覚えてらっしゃる方、いますでしょうか?(http://d.hatena.ne.jp/fkj/20060208)。

小竹図書館には、あの後も、何度も何度も足を運んでいるのだけど、例の大先生には一度も再会することはなくって、あまり気にもしていなかった本日、例の遭遇場所を通りかかった時に、クレイジーに踊りながら歩いててハッピーになってる状態で、(あれ?あの猫、いないかなあ)とチラと思ったわけです。

で、いくらか辺りを探してみたけれどいる様子はなく、まあ、そんな都合よく出会えるわけないよな、と思って10mほど歩いていったところ背後から、「ニヤオ」と呼ぶ声。

「おおお!、ほんとに出てきた!」とびっくり感動して振り返ったら、その猫、こっちに向かって駆けよってくる。

すごいです!ニャンコ先生!、と不肖の弟子である私が手を差し出して触ってしまうと、先生、きびすを返して(って猫にそういうのもおかしいけど)距離を取られてしまった。

これは失敗、とちょっと残念に思い、2mほど離れたところから、それでは今日は失礼します、と本を返しに図書館まで行き、その戻りにもう一度同じ所を見るとそこにはいなくて、別の、明かりのあるところで、何かちっちゃな虫でも追っかけているのか、実に楽しそうにダンシングしてるではありませんか!

それ見たら、もう、俄然、(俺って完全に宇宙の子供〜)、としか思えなくなってきてしまってしばらく師匠のすばらしい動きを堪能させていただきました。

私が見ていたのに気付くと、またも私のとこに近寄ってきてくれるので、今度は失敗しないように、自分から師匠の身体に触れるなどという無礼を働かないように、手をダランとさせておくと、そうそうそれでいい、と言わんばかりに身をすり寄せてくれました。

ああ、もう、師匠、ありがとう。

そして、姿小さき我が師匠は、ある意味、私という宇宙の胎児、でもあり、私もまた、宇宙の胎児としてへその緒でつながっている、という感覚、そんなものを非常にリアルにもたらしてくれたのでありました。

どう言ったらいいのか、なかなか手のつけようがなかった孤独癖というか、に、ものすごい大切な薬をいただいた気分。

ワークでは、さらに、私の業病だとも思っていた緊張癖にまでも、これまでの洞察とは次元の違う洞察が得られ、もうですね、一気に、逝っちゃっていいや、逝っちゃってもどうやら大丈夫そうだ、という結論に達しました。

今、全然、酒飲んでないですよ。でも、完全に酔っぱらってるw