失敗をあざ笑う家

年明け一発目から身内の恥をさらすので、そういうドロドロしたお話が嫌いな方々は、以下、読まないほうがよろしいかと思われます。たぶん、かーなーりー、ドロドロしてます。読むだけで気鬱になります。そんな話は書くべきではない、という方々もできれば読まずに済まして素通りされることを願います。



ご存知の方はご存知の通り、昨年頭、実家が丸焼けになってしまいまして、その際、焼けずに残った駐車場を緊急避難的に改造し、当座、そこで暮らすことになった兄家族。

火災保険にも入っていたのですぐにでも立て直せばいいではないか、と思っていたところ、兄本人は、もうその土地に住みたくないので、よそで家を探すと言う。

ところがどっこい、そう簡単に話しは進まず、ぐるり一年、せまい仮住まいを続けるはめに。防寒がしっかりしておらず寒いことは寒いのだけど、あちこち手入れして、なんとか雨風(雪)しのげてそこそこ文化的な生活もできるようになっているから、まあ、それでいいっていうんなら、私がとやかく言うことでもない。

ただ、例年、年末年始の帰省時には二泊してくるようにしてたのを、今年は一泊だけにして正月一日には東京へ戻り、翌二日には呼ばれていた千葉の姉夫婦の家に泊まりに行った。

姉の家には昨年も行ったのだけど、そん時は、そのまた上の姉と彼女のドイツ人亭主が来てたからか、かなり特別な雰囲気もあったり、泊まらずに帰ったせいもあって、人んちの家庭に入り込んでる、という気はしなかった。が、今年は、私以外、まったくの姉家族しかいないわけで、なにか、こう、非常によそ者というか覗き見してる風な、へんな感じがあった。

思えば、昨年は、そういう離れた立場から、「火事」というトラブルに右往左往する親兄弟を見て、自分の抱えていた不愉快な側面が、“血”のなせる業でどうにもならないものなのだ、と見せ付けられたように感じ、ひどい低空飛行に陥ったのでありました。

そうして今年、私自身も、あれこれの考えが一巡りした目で二つの家族を見てみると、我が一族に強力に作用していると思われるある側面がはっきりくっきり浮き彫りに。

それが、「失敗・間違いを許さない」、というところ。「許さない」どころではない。タイトルにある通り、失敗を嘲笑う家、というのがはるかに正確。

実家の兄貴は、2年ほど前に離婚してその子供(五歳)が兄貴のところにいるのだけど、この私の甥っ子、普段あんまりかまってもらってないせいか、私がちょっかいを出して遊んでやるとどんどんテンションが上がってきて、狭い部屋の中をバタバタと動き回る。そのせいでお茶をこぼしそうになったとき兄貴が取った行動が、チッ!という舌打ちと、もう!うるさくすんなつったじゃねーか!という罵声。基本、母親もヒステリックに似たような反応をする、っていうか、元々は、母親の傾向だったものが、知らず、兄貴にも受け継がれてるんだろう(どうやら私にも)。甥っ子は、親や祖母のその手の反応に、うるさい!馬鹿!、っと口汚く反応し返すのだけど、そりゃそうしたくなるのもうなずける。

まあ、それだけだったら、どこの家庭もそうじゃないか、と言えそうだけど(ただ、度々似たようなシーンを目にすると、非常に嫌な気分になってくる)、極めつけだったのは、離婚した元嫁から来た手紙に対する母親と兄貴の反応。

その甥っ子の母親は、一度、子供に会いにうちに来たらしく、その後で甥っ子宛てに手紙を書いてきた。出したことがないのか、絵葉書の通信部分と宛名の部分を妙な具合に混在させ、それだけでも、常識のない奴、的な扱いをするうちの母親と兄。つたない字で書かれた子ども宛の文章を、字を覚えたばかりの甥っ子が私に読んで聞かせてくれる。「○○ちゃんげんき、おかあさんもげんきですよ。・・・(中略)・・・また、遊ぶにいくからね」。

また、遊ぶにいくからね

遊びにいくからね、じゃなく、遊ぶにいくからね、という間違いの部分にくる度、ゲラゲラ笑う母と兄。場が盛り上がるのを見て、再びそれを読む甥っ子。「また、遊ぶにいくからね」。ゲラゲラ。「また、遊ぶにいくらかね」。ゲラゲラ。・・・・。ウヒ〜・・・・。

たぶん、去年だったら、一緒んなって笑ってたと思う。別に改心したってわけじゃないが、もう、見えてくるものが違ってきてるから、これにはかなりへこんだ。

甥っ子にとって、その母親は、決していい母親だったとは思わないし、この手紙だって、はっきり言ってしまえば、どの程度子どものことを思って書いたのかは信じられないところもある。正直言って。でも、一応、目の前にいる子の母親でしょう?まあ、もろもろ、腹の立つのは分かるんだけど。

この先、おそらく甥っ子は、金輪際、こんな間違いは犯すまい、と思う、というか、思うことすらせず、こんな間違い・失敗は世界の中で許されることはない嘲笑いの対象である、とでも言うような自動的な拒絶反応を起こすように、色濃く刷り込まれてしまうんだろう。うちの一族が皆そうであるように。

そうして、失敗するくらいなら、何もしないほうがましだ、となって快活さを失っていくことになるんだろう。

そんな思いも抱えつつ、千葉の姉のところへ行ってみると、迎えにきてくれた駅から家までの道々、車の中での姉の反応に、またもや・・・・。

姉も、実家の兄(姉から見ると弟)が、今いる土地から離れて暮らすべき、ということは、昨年のうちから言っており、火事から半年ばかり過ぎたときにも電話をかけて、まだ、そんなところにいるのか、とひとくさりしたらしく、それでも、そういうことを言ったところで、兄貴も聞くほうじゃないから、非常に険悪なことになったため、もう勝手にしてください、と思ってたらしい。そこに私が現れ、実家のほうはどうした?、と聞いてくる。これこれで、まだあそこで仮住まいをしているよ、と言うと、えー!まだあんなきったないところにいるん?!、ほんとしょうがないなあ、と口を極めてののしる姉。たまにしか会わない兄弟(俺のことね)との間から、気まずさを取り除く意味も込めての、やや過剰気味の反応でもあったのだろうけど、それにしても、その姉の、実家のダメっぷりをののしる様は気分のいいもんではなかった。(別に、いいじゃん、汚いとこ住んでたって。俺らが住むわけじゃないんだから)などと言っていきなり険悪になるような失敗は犯さない私。。

んで、とりわけ印象に残ったのが、なんのテレビ番組だったか、アメリカかどっかの非常にデプった女が出てきた番組があって、もう、異星人か!、つーくらいダルダルの肉をつけた不恰好な女の人だったんだけど、それに対しても、姉やん「うわー、気持ち悪い、みっともねえ、氏ね!」。・・・・(氏ね、とまで言う?)とも言わない私。そういえば、と思い出したように見せてくれた年賀状には、これまたブーちゃんな女の子の写真が写ってて、「よく、こんな子の写真、自慢げに送ってこれるよね」。(・・・)

とにかく、ちょっと自分の価値判断から外れたものはすべて否定。それもちょっとどうか思うくらいに強く否定。二人の中学生の甥っ子は、また、実におとなしい。というか、「無駄には動かない」。

ここのご主人は、多趣味な人で、高そうな自転車を何台も持っていたり、中古のミニを買って自分でいじったりというように、ものすごい活動的な人で、ただ、その辺の、じっとしていないところが、嫁や子どもから、馬鹿にされているご様子。そんな扱いを受けてもさほどめげる様子もなく、冗談めかして、「鬼嫁〜」などと言ってられる余裕がある人で、姉やんは、この人に感謝こそすべきだと思うのだけど、やっぱり、「チッ!(舌打ち)」的扱い。でも、こういうご主人じゃなかったら、絶対続いてないね、あの家族。

とかいって、なんかとんでもない悪人姉ちゃんみたいになってるけど、もちろん自分でも働いてるし家事もしてるし、それなりにご主人を愛してもいらっしゃるのは間違いないですから、妙な風にとらないで下さいね。

ただね、ただ、姉にとっては、こう、と決めたことがその通りいかない限り、すべては失敗であり間違いであり嘲笑いの対象であり、それ以外のことはしないほうがマシと思っている、思っている、んじゃあなくて、失敗しないようにせずにはいられない体質、というか。なにかわけのわからないことを始めて失敗すれば、「それみたことか」、としかならない体質。

でも、もう、いいや。失敗しないばっかりなのは。

いいじゃんねえ。失敗して恥さらしたって。っていうか、失敗したからこそ展開していくナリユキというものもあるでしょうに。

さっきのアメリカ人のデブの話だって、その「失敗」した姿をネットに載せたかなんかしたら、デブのモデルの仕事がひっきりになしに入ってくるようになったとかって話しだったんですよ。確か。そこらへんのことはあまり見ない姉。

そういえば、ノーベル賞とった田中さんでしたか、あの人も別の実験の失敗でできちゃった黒い膜だかなんだかを、なんだこりゃ?、と調べ出したら、なんか、たいしたものが発見できちゃったでしたよねえ。フロイトなんか、偉大なる大間違い、とかよく言われてるような気がするし。

そんなこと考えながら、新宿京王の古本市に行ってみたら、一番初めに目に飛び込んできたのが「失敗の本質」とかいう太平洋戦争で日本が負けたことについての本。思わず買おうとしたけど、止めといて、ふと視線を上げると、今度は「失敗学のすすめ」だって。これには笑ってしまったよ。絶対買わないタイプの本だけど、目次読んで買っちゃいました。

もう、今年から、大いなる失敗を目指して進みます。ただ、まあ、今ある自分を作り上げてくれたのは、そういう「失敗」に慎重な生き方のおかげでもあったわけで、その点は、一族の“血”に充分、敬意と感謝の念を持ちつつ。

でも、なかなか、身についたブレーキを緩めるのは、難しいもんではあるんだよなあ。