時は来たれり(身体と意識の境界)

フロイトとの決別後方向喪失の状態に陥ったユングは、それからしばらく(7年とかいってったっけ?)統合失調様な空想に取り憑かれて、大学教授の職を辞めてまでそれと付き合ってた、とかいう話があった。その時の経験が、その後の多産な研究を生む基盤となっている、とも。

そんな大それたもんじゃないけど、ここ最近の有頂天ぶりと下落ぶりと妄想ぶりと落ち着きぶりから、えらいマグマ状の思考が煮え立ってきて、大爆発を起こしそうな気配。というか小爆発中(ちなみに私、ユングと誕生日が一緒なんです)。

とにかく、夢見が以前とまったく変わってしまった。

下のほうに、自分専用の雑多なメモとして書いておくつもりですが、とりあえず、あまりに印象的だった三点について先に書いておきます。


(この前に流れがあって)廃墟の屋上へと登っていく途中、私と一緒に行動していた男が、なにやらシクシク泣き出した。慰めているうち、そいつは、いつの間にか傷ついたすずめに変わってた。かまくらの内部のようになってる茂みの中でそのすずめを両手であたためてやってたら、元気になり、手を離すとぴょんぴょんと茂みの中を跳ね回る。その茂みには、すずめの体にちょうといいくらいの大きさの出口があって、そこに向かってぴょんぴょん跳ねてくすずめを見て、どうやら出て行きそうだな、と思っていると、穴の外から、ぴゅう、と一陣の風と一枚の枯れ葉が舞い込む。その枯れ葉に一瞬見えたのが「飛び出せます」という文字。それが見えたのと同時にすずめは飛び出していって、ああ、やっぱり、物事にはタイミングがあるんだなあ、という思いに深く打たれた。

すずめが飛び出していくとすぐに、今度は一匹の猫(確か白かった)がその茂みの中に入ってきた。(この時、中にもう一人、誰か、何か、がいたような気がするのだけど思い出せない)。のどをなでてやるとごろごろ気持ち良さげに寝転がる。すると、もう一匹、前のより大きめの、確か灰色っぽい猫が入ってき、葉書大の大きさの紙に絵と文字の書かれた紙芝居を始めた。猫は、お話の内容を声色変えて演じてくれるのだけど、紙に書かれた文字も一緒に読まないと、内容がはっきりしないところもあって、だけど、その文字が読みにくい上に、時間がくると、次のページにいってしまってついていけない。(あやふやですがどんなお話だったかと申しますと、二人のおばあさんがそれぞれに着物を作って、それを互いに売り買いするのだけど、お互い、ついこの前に売り買いしたばかりでお金もないから、今回は止めにしましょう、とかそんなような感じ。でも互いに売り買いしてるんだから、持ってるお金はかわらないはずなんだがなあ。まあそこが面白いし、夢の中では変とも思わなかった)。話が終わると、猫は一匹になっていて(どちらかが出て行ったという感じではなく、二匹がいっしょになっちゃったらしい)、「お前もそろそろ出て行く時間だな」と言われ、ぐいぐい猫に押されて、1m〜2mくらい低くなってる道路に落とされた。これにも、なるほど「時間」なんだなあ、とあまりに思うところがあって胸に残った。

最後のが、前の二つとは一端切れた、違うシリーズの夢で、これは、もう、いつも仕事している建築現場の細かな様子が、ホコリから道具から材料から職人から、実にスーパーリアルに再現されてて、そこで仕事をしていると、なにがあったわけでもなく、ふーっっっ・・・・、っと意識が遠のいてきて、あれ?俺、失神しちゃうぞ、と膝がガクンと落っこち、そのまま後に、バタン!、と目を開けたまま倒れ、周りの人は、おいおいどうしちゃった、とか言ってる割には慌ててないよなあ、と思いつつ、目を閉じていったら、こちらの世界で目覚めてしまったのでありました。


前にも書いたかもしれないけど、私、悪夢って結構好きで、それは、意識的にはなかなか気付けない問題に、感情という強調線を引いて提示してくれるところがあるような気がするのと、もう一点、どれほど危ない目、怖い目にあったとしても、かなり反応よく、バッ!、と目覚めてくれるところがあるからで、その目覚め、というのは守りとしての「意識」なんだろうなあ、と思うわけです(ただ、今日のようにソフトランディングで夢と現実とが繋がったことはなかったので、これはこれで別に考える必要がありそう)。

昨今の脳科学では、人がなにか行動を起こすときって、「なにかをしよう」と思ってから「なにかをする」んじゃあなくて、「なにかした」後に、「なにかをしよう」と後付けで思わせてる(「意識」が自分でなにかをさせたかのように)んでしたよね、確か。身体行動が起きる脳の反応のほうが、思考の反応よりコンマ何秒だったか先、とかなんとか。じゃあ「意識」って何してんの?、っていうと、動き始めた行動を止める、ってあたりにある、なんてことも言ってませんでしたっけ。適当だなあ。各人調べて私に教えるように!。

でも、なにかを止める、のが「意識」の役割、というのには、かなり納得のいくところがあったりする。ここでこういうことをしたらひどい目にあう、ここでこんなこと言ったら怒られる。放っておいたら何しでかすか分からない身体にブレーキをかけるパターン学習。「意識」は、そのひどい目、にあわないために、日々の行動にブレーキを掛けている。

そのブレーキは、各人各様、生まれと育ちの双方が相まって出来上がってくるもので、人によってはブレーキがききすぎの人もいたりする。きかなさすぎの人も。

ブレーキききすぎの人は、世界に自由を感じにくいかもしれない。きかなさすぎの人は、世界との衝突が多いかもしれない。

意識的、であるということは、有象無象の渦巻く世界の中で守りとなる。しかし、あまりに狭い守りは、内から沸き起こる生命の躍動を窒息させてしまうところがある。ここに、身体(あるいは無意識)というものの出番が待っている。「症状」や「夢」は、息苦しい「意識」の守りに訴える身体・生命の躍動に他ならない。


          • こっから下は見た夢のメモですので-----
          • わけがわからないと思われます  -----


覚えている限りでの夢の頭は、中央線と総武線と丸の内線が重なってるあたりの風景。自分は新宿方面に向かってる電車に乗ってる。やや低い位置にある反対方向への線路。秋葉方面に二台並んで走っている。電車にはタモさんも乗ってて、こういう線路が並んだところが好きなんですよねえ、とか話す。電車の右手は川(海?)になってて、並走するように船もいる。タモさんは、そういう電車と船が絡み合う風景がいい、みたいなことも言う。そのあたりで、電車に乗ってるはずだったのが、屋根なしのバスみたいなものに変わってたような気がする。なにか友だちと乗っているようで、上半身の服を脱ぎ、風を浴びようとしている。すると、右手を並走していた船の乗組員が、ばしゃばしゃ水をひっかけてきた。わーわー、盛り上がる俺ら。水はしょっぱかったのでたぶん海水。その屋根なしのバスみたいなものが港のようなところに止まり降りようとするのだけど、一人の男が、そのバスの様なものから墜落しそうになるのを引きとめようとした拍子に、自分も落っこちる(ただ、この落ちる瞬間だけはビビって意識が解離し、落ちてく自分の姿を見ていたような気がする)。落っこちる先は区画された水路というかドックのようなところで、人がいっぱい泳いでいたため、ぶつかるかも、と怖がる。水の中の記憶がなく、そこから這い上がろうとしているところから続き。バスの上で上半身脱いでいたため、服を忘れた、とはしごのようなものを登っていく。かなり高い距離を落っこちたので登るのにも一苦労。そうしているうちに、なぜか、病院(か学校)の廃墟を登っている。そこで一緒に落っこちた男が泣き出し、上に書いたすすめの話に繋がる。

すずめ→猫、と夢が続いて、猫に道路の上に落っことされると、そこには若者たちが野球をしているグランドがあった。木更津キャッツアイ的な状況。そこで、あ!この場面さっきも見た、と映画を観ている風に感じているけど、中にも入っている感じもある。なんか「兄貴の場合」みたいなテロップがあって、やはり、さっき見たのと同じシーンで、弟が、「混ぜて。野球やらせて」とかいいながら現れる。後で、あいつケガしてたときは全然連絡取れなかったくせに、治ったと思ったら何食わぬ顔して戻ってきたよ、とかうわさしてる奴がいる。そのあと、「弟」の「兄貴」らしいヒゲでアフロな男と弟がキャッチボールするはず、と先が読めてて、その後はこれまで見たのとは違う、「兄貴」中心のお話になるんだな、と脚本のうまさに関心して、そこから先になにかあったのか、そこで終わったのか、覚えがない。