腐臭

Zガンダム第六話から)

地球生まれのエリート軍人、いわば「キャリア」扱いの“ティターンズ”に所属するジェリド・メサ中尉を、たいした実力もないくせにちやほやされる甘ちゃん、とミーティングにおいてさんざんコケにするライラ・ミラ・ライラ大尉。ミーティング終了後、女相手に本気で殴りかかったはいいが、宇宙での無重力状態の勝手がつかめないジェリドはライラに簡単に負けてしまう。

(顔を蹴飛ばされ、痛そうにしている駄目駄目なジェリド中尉)

ライラ「恥を上乗せしに来るなんて、律儀だね。
    宇宙は地球と違うって、どうして地球人には分からないんだ」

(呆れて物も言えないライラ大尉)

ジェリド「何故だ!?」

ライラ「何故だ?」

ジェリド「地球でも十分訓練はした。適応能力は高かったんだ!
     だから俺は、ティターンズになれたんだ!」

(自分の不甲斐なさに納得がいかないジェリド中尉)

ライラ「適性と対応するってことは違うね」

ジェリド「教えろ!!何故だ!?」

(ライラにしがみ付く子供みたいな中尉)

ライラ「およしよ!触るのは!!そういった雑な神経がある限りは、勝てやしないよ」

(いい加減鬱陶しくなってきたライラ)

ジェリド「あ…なんでこういうことが、雑だって言うんだ」

ライラ「イラつくねぇ!そんなやり方聞き方は、皆あんたのやり方だろ!?
    相手に合わせたやり方じゃないじゃないか!
    あたしはねぇ、あんたが付き合ってきた女達と同じようにしたって、
    通用しないんだよ」

ジェリド「そういうつもりではないのだが…」

ライラ「新しい環境・新しい相手・新しい事態に会えば、
    違うやり方をしないといけないんだよ」

ジェリド「俺は、そうしてきたつもりだ」

ライラ「何も見ていない癖に…何が変えられるものか」

ジェリド「俺が何も見ていないというのか…?」

ライラ「見ていれば、ガンダムMK−Ⅱにだって勝っていただろう?」

ジェリド「あ……。」

(幾つか心当たりのある中尉)

ジェリド「教えてくれ!!俺は奴を倒したいんだ!!」

ライラ「何故?」

ジェリド「何故?…俺だって、いつかはティターンズをこの手にしたいと思っている。その為にはメンツを捨てて、勉強しなくちゃなんないんだ!!」

ライラ「本気らしいね」

19日、20日、26日、27日、と、2週続けて土日土日とワークショップに参加してきました。そのワークショップ内での話の流れから、この日記の存在を知られてしまう恐れもあったので具体的なことはなかなか書けませんでしたが、どうにか気付かれずに済んだようなので、ひとまず書きます。(万が一、ということもありますので、その時はこっそり消去の方向でいきます。そんときは一つよろひく)

参加したワークショップというのは「フォーカシング」という、流派の違いを超えてかなり広い範囲のカウンセリングの現場で重宝されている技法を学ぶためのもの。

以前書いてたhpでも熱狂的に紹介した覚えがあるのですが、簡単に言えば、「各人が、今まさにここにいる瞬間、の、身体の感じ、に注意を向けることで、意識的には見出すことのできなかった、ある種の(生き方、等の)“知恵”を得る」という方法。・・・・

と、まあ、こんな風に書いても、普段から身体感覚に忠実に動いている人にはいまさら言われるでもない自明なことなんだろうし、一方では、(身体の感じ?)、とまーったく意味のつかめない人もいて、そういう人にとってもまたまるで意味のない文章に思われるのだろうし・・・むううう。とりあえず、一番、その「フォーカシング」の感じをつかみやすいサイトとしてこんな↓とこがありますので興味がおありの方はお読みください。
http://homepage3.nifty.com/karada/sukima/sukima05.htm

で、私の場合は、カウンセリングの技術としてのフォーカシングを学びにいったというよりも、これまで一人ででもそれなりに役立っていたフォーカンシングという「自己援助」の技術を、他者がいる中で、対他的な場で、してみたり、あるいは、されてみたり、という実地体験をしてみたかった、というところがあって参加してみました(この目論見は見事にあたって、非常な洞察を得ることができたのですが、事柄があまりにややこしくて、簡単に説明できねーです。ごめんなさい)。

それでもやっぱりカウンセリングがらみのワークショップだから、女性ばっかりかと思っておりましたら、今回は私を含め男が四人、女が一人、の計五人での開催となり、主催の方も、こんなことはめずらしいと申しておりました(やっぱり普段は男女比の割合が逆になることが多いらしい)。

参加した方々の細かな情報は私も知らないのですが、一人は50代男性、一人は40代男性、一人は臨床心理系で大学院進学をめざす20代男性、もう一人の女性は、ソーシャルワーカーかなにかですでに現場で子供たちと応対してるらしき20代女性。

さて、すでに現場に出ているらしき女性はともかく、残りの野郎三人ってのに、ちょっとどうなんだろう、という疑惑というか不信感をどうしようもなく持ってしまったのでありました。

大学院進学をめざす若者はもちろんのこと、50代の男性は、自分の子供の独立を機にカウンセリングを学ぼう(あわよくば大学院に入りたい、とか)と参加し、40代の男性も、産業カウンセリングとかそういう方向に途をさがしている風もあって、とにかく、みなさん、誰かの心の援助をしたがっているご様子。

もう、その、救済者意識というか、そのへんに、非常な“腐臭”のようなものを感じてしまって、いやいやいやいや、あんた方、自分の救済のために、誰かを援助したがってんじゃないの?、と言ってやりたくなってしかたなかった。もちろん、そんなこと言いませんが。

とりわけ50代の男性は、フォーカシング、というのが、各人の身体にある感じを感じること、というところに重点があるのに、自分の身体の感じ、ということはそっちのけで、相手の感じている感じ(フェルト・センス)を引き出すための質問、であるとか、カリキュラムにはなかった「EXPスケール」という、カウンセリングの成否をも決めていると言われる「実感に触れる度合い」を示した表に、異様に興味を持ったり、と、とにかく、相手をどうこうする技術(悪く言えばいじる技術)、を学びたがっていることばかりやたら目についた。

そういうことを学ぶ場なんじゃないの、と言われるかもしれないけど、技術、って要するにマニュアルですからねえ、ライラ・ミラ・ライラ風に、「イラつくねぇ!そんなやり方聞き方は、皆あんたのやり方だろ!?相手に合わせたやり方じゃないじゃないか!あたしはねぇ、あんたが付き合ってきた女達と同じようにしたって、通用しないんだよ」、ってクライエントに言われるのがオチなんですよ。もちろん徒手空拳で相手に向かうのがいいって話ではないんだけど、「何も見ていない癖に…何が変えられるものか」ということなんじゃないでしょうか。「新しい環境・新しい相手・新しい事態に会えば、違うやり方をしないといけないんだよ」。カウセンリングって、絶対的にそういうもんでしょ?

そのためにフォーカシングを学ぶというのなら、まず最初に自分がそれを体験してみなけりゃそれがどうクライアントのためになるかなんて分かりっこないでしょうに、自分が「体の感じ」を掴むのが苦手のようだから、それはあんまり進んでやらない。やってみても、どうも「体の感じ」からは外れた関係ない方向に進みがちなので、それを修正するための声かけをしてあげるんだけど、もう、何一つ、そういうアドバイスは聞かない。

フォーカシングをするほうと、それを聞く役割とを交代でやるのだけど、その聞かなさっぷりってのが際立ってて、当然、フォーカシングそのものも、さして実りのあるものとは本人にも感じられてないようで(というか何も感じてないのか・・)、うまくいかないのはどうもこれこれの理由があるからなんでしょうね、と自分であれこれ結論付けて、ひたすらペラペラと上滑りの会話を繰り出してくる。こっちはだんだんイライラしてくるんだけど、それでも先生方は偉いもんで、その上滑りしてる会話も丁寧に傾聴していらっしゃる。ああ、俺にはできねえなあ、と。

こんなんでよく五十過ぎまで生きてきたな、この様子ってどうもあれっぽいし・・、といささかひどい診断名が浮かんでしまったのだけど、やっぱり、そんな仕事目指すというのなら、まずはご自分の問題を自覚することこそ先決だと思うのは、私だけぇ。歌います。ど〜おでもいいですよ〜。