今日のハルカ 第四回

正確には昨日のハルカ。

先々週の妹アスカとの電話での会話や、湯布院の父親に生き方のモデル(自我理想?)を見るいとこや、自分の中の母役部分がどうしようもなく出てきてしまうハルカのダメンズぶりとか、興味深いところたくさんあったんですが、私自身の外的、内的な忙しさでちとお休みした今日のハルカ。

でもやっぱり、深いところに降りていった先にある、人間関係が露出しているようなとこにはどうしても反応してしまって、今日は、ハルカと母親の関係について。

母親との同居生活も何ヶ月かたつが、ハルカはどうにも母親にうち解けない。好きになったかもしれない人がいる、ということを聞きつけた母親は、ハルカと恋愛の話がしたいと言う。ハルカは、お父さんを捨てて出て行った人と恋愛の話なんかしたくないと拒絶。食事はいらない、お風呂に入る、と母親から距離をとろうとするハルカだが、母親から「また逃げる。言いたいことがあるならはっきり言いなさい」と言われ感情的になり、湯布院のレストランに協力しなかったこと自分たちを置いて出て行ったことを非難し、「わたしはあなたのようにはなりたくない」と言い放つ。

ショックを受ける母親。食事は後にして、自分から逃げるように風呂に向かう。

母親は、同居生活のはじめからハルカと仲良くしたいと思っていたのだが、ハルカは常に母との間に壁を作っていた。ちっとも自分の思いをわかってくれないハルカに苛立った母親だが、これはいかにも虫のいい話。わずか10歳で別れざるを得ないような状況に追い込まれ、以後手紙や電話で連絡をとる以外では一度だって子どもたちのいる湯布院に来ず甘えさせてくれなかったような母親と、それでも縁を切るでもなく一緒に暮らし、そんな経過がある中で多少の壁を作られ寂しい思いをしたところで当然なことではないか。思いをわかっていないのは、母親もまた同じことなのだった。

ただし、物事というものにはタイミングというか機会があって、そういう無理のかかった緊張状態というものは、続かない(続いてしまうと、ある種の悪習や、癖、症状となってあちこちに弊害が現れる)。その緊張状態に、まず最初に耐えられなくなったのは母親であった。ハルカも母親に、母親もハルカに甘えたい・仲良くしたい、と思っていて、それがかなわないでいることに鬱憤を感じて、その状態に一石を投じたのが、まずは母親だった、というところが面白い。

緊張状態は緊張状態として、自分の中に抱え、ほとんど母親との応対の仕方を変えないハルカに対して、娘と打ち解けたいが打ち解けられないという矛盾に耐えられなくなる母親。家庭を壊し娘を置いてまで、自立という不安定(スリル)を選んだ母親は、その場を揺り動かさずにはいられない。「言いたいことがあるならはっきり言いなさい」。

それを吐き出せば、甘えたいとも思っている母親が傷つき、今度もまた母親に去られるかもしれないと恐怖するハルカにとって、「壁」とは、外からの攻撃に対する壁ではなくて、内から溢れてくるものをおさえる壁であった。そういう自分のそのままを認めてくれず「壁」を叩く母親に、ついつい怒りをぶつけてしまうハルカ。

風呂の中で涙する母であったが、親は、というか、関係を大事にしたいと思う人間であるならば、ここでこそ生き残らなければならない。

ムズかる赤ん坊に、睡眠を妨げられ、行きたいところにも行けず、腹が立っても自分の中に収めて、それでも、愛情を注ぐことによって、なによりも濃い「親子」という関係を築く人間にとって、傷ついたときにどういう行動をとるのか、ということが、その関係を深いものにも浅いものにもする分岐点になるように思う。

傷つき、それでも生き残ること、それが人間関係を築く礎石となる。