今日のハルカ 第二回

ちょいときっかけがあって、これまで折々買いためてきた心理療法やカウンセリングの技法等といったことが書かれた本をあちらこちらと読みつつ、何かがまとまっていきそうな気がしていたのだけど、いつものごとく風呂敷を広げ過ぎて混沌の度は増しております。でもたぶん、すすむべき方向ははずしていない。なにやら妙な確信がある。昨年の「他者と死者」読書のような、ビッグウェーブが来てくれそうなんだが、ああ、もどかしい。

そんな中、ネタを提供してくれる「風のハルカ」、ありがたいです。

まずは、15日日記の「今日のハルカ第一回」の中に書いたことをいくつか訂正。妹アスカの心象に関する当て推量は、どうも違ってるよなあ、とずっと気になっておったのですが、今日の放送を見てはっきりしたのでそのへんについて。

アスカが抑圧したのは、「お母さんが好き」ではなく、また、アスカが認められないのは、自らの選択が失敗だった、でもないです、どう考えても。

台詞の中には「お母さんについていかなかったことを後悔している」とあったし(自らの選択の失敗を認めている)、母親を好きだとまでは言っていないけれど、少なくとも電話で母と話すアスカの姿はなごやかに描かれていたし。

じゃあ、あの場面、アスカの父や「家」に対する非難は正当なものだったのか、といえば、やはり、かなりの程度、的をはずしているということは言えると思う。

父親と離婚して以降、一度たりとも自分たちの暮らす家に来なかった母親を子供が恨みに思うのは当然のことだろう。というか、姉ハルカが、誕生日に母から送られてくる手紙を一切開封することもなく、妹の進学にお金がかかることになっても母親からの援助だけは拒絶するというくらい、母に対して怒りをあらわにしているのと対照的に、アスカが母親に怒りを向けるシーンというものはまったく描かれておらず、これはいかにも不自然。

本来、アスカの満たされない思いは母親の不在からきているはずなのに、怒りは母親には向かわず(それ以上の仕打ちをすでにしてしまっているという「罪悪感」)、私が満たされないのは、この家の、この父のせいである、となってしまう。

この非難、全くの不当、とまでは言えないかもしれないが、やはり相当程度、的をはずしていることは間違いないだろう。

妹は「お母さんへの怒り」を抑圧した結果、的外れの非難を父や家に浴びせる。

そして、本日放送分の中で面白かったのが、母への怒りを、直裁にあらわにしていた姉ハルカの混乱ぶり。その抑圧していたものが噴出してくる様子でありました。

「お母さんが好き」という感情を抑圧していたのは、姉ハルカのほうだったんですね。

東京の大学にすすみたいというアスカのための金策がまったく立たなくなり、ハルカはしかたなく母親に頭を下げ、妹にお金を出してやってほしい、と頼むのであったが、ほんのちょっとした言葉の行き違いで、またもや母親を拒絶し電話を切ってしまう。その言葉というのが、「私はあなたたちの母親なんだから、あなたたちのためにお金を出すのは当たり前のこと。頭を下げるなんてことしなくていい」(大意)。ハルカは、この言葉に、母親ぶるな、と言って腹を立て電話を叩き切ってしまう。

すぐに電話をかけなおしてきた母親は、「そんなに私からの援助が嫌なら、あなたが、仕事もたくさんある大阪に出てきて働いてお金を稼げばいい。私と一緒に住めば部屋代もかからない」と申し出る。

この申し出にハルカは、なんで私がお母さんと一緒に暮らさなきゃならないのか、考えられない、と言うのだが、その話題に触れる度に、異様に興奮して、そんなことできるはずない、考えられない、と取り乱すのであった。

ただ単に、母親を拒絶しているのであれば、何を馬鹿なこと、の一言で済んでしまうはず。何故、これほどに取り乱すのかと言えば・・・もはや言うまでもないでしょう。

大好きなお父さん、大好きなこの家、それを否定して出て行ったお母さん。お母さんを求める心は、いままさに存在している場所を否定するという不安定な要因をもたらしかねない。母親なんかいなくても、私たちは充分に幸せだ。そのために、ハルカは父の手伝いをし、妹の面倒を見、家の中を明るく保つためにがんばってきた。そんなハルカに対し、妹からは、お姉ちゃんにはやりたいことがあるのか、と聞かれ、父からは、自分がどうしたいのか一番に考えてほしい、と言われ、振り返ってみるとそこにあったものは・・・。

今日の放送、ハルカが、父親に大阪行きを告げようとするところで終わったのだけど、その終わり方のタイミングも、言い出しにくいことを言う、という演出にもかなった絶妙なものだと思えた。