今日のハルカ 第一回

一昨日分日記を第0回として、この朝ドラ感想、連載になるかもしれません。本日放送分でもいろいろと思うところがあってあんまり面白かったものですから。

昨日、第二週金曜(五日目)放送分から、それまでの子供時代から十年ほど下って、ハルカは短大二年生、妹アスカは高校三年生となっております。

十年の間に変化した、物語上深く関わってきそうな人物(と状況)の描写を昨日放送の15分の中で、非常にリズミカルな映像の繋ぎで、なおかつ、過不足なくそれぞれのキャラクターを、バシッ!、と押さえた演出&編集と、プロフェッショナルな仕事ぶりを見せていただき、あまりにダラダラしていた前期「ファイト」と好対照だったため、AK(NHK東京)とBK(NHK大阪)の意識、あるいは、センスの違いに、かくまで差があるものか、という気もしてしまいました。(思えば、関心した朝ドラ「オードリー」も「てるてる家族」もBK発だった)

さて、一昨日書きました、「妹に残ったある種の刻印」。本日放送の中に早くも出現し、この脚本家はどこまで人間心理に透徹してるのか、とのけぞった。

妹アスカは、地元進学校に通う超優等生になっており、とある文学新人賞を最年少で受賞するという栄冠まで勝ち取る。

受賞パーティで東京に行ったおり、都内有名大学へ進学すれば授業料が免除されるという話を貰い、アスカは東京への進学を希望。ところが、父親がはじめた(離婚の元となった)レストランがつぶれてから極貧生活の続く家では、授業料が免除されたとしても生活費の面倒までみれない、と姉ハルカに反対される。

切れたアスカは、それまで内に秘めていた鬱憤を晴らしてしまう。いわく、(レストランがつぶれてから日雇い仕事しかしていない)お父さんは情けない、こんなボロ屋に済むもの、貧乏なのも格好悪くて嫌だった、あの時なんでお母さんのほうについて行かなかったのか後悔している、云々。

アスカは、あくまで、貧乏状態の続く「家」、あるいは、「父親」のふがいなさ、に対して憤慨しているかのごとく、姉や父を非難するのだが、その憤慨は、間違いなく、実の母を自らの手で切ったことに対する罪悪感から発している。

その時は確かに、実の母ではなく姉を選び取ったアスカではあるけれど、選び取らざるを得なかったのは周りの事情がそう仕向けたからに他ならず、本当ならば、家族全員で一緒に暮らしていきたかった。それが、結果的には、実の母を切るようなことになってしまい、母の愛情を求める心は、それが、自分の選択でそうなってしまった、ということを認められない(認めてしまえば、いまある状況は自分で求めたものだ、ということになって文句など言えようはずがない)。

お母さんが好き、という心は、姉を選んだ時点で確実に抑圧され、母の「死」など、絶対的にあきらめざるを得ないようなことにでもならない限り、満たされぬまま生き続ける。(「死」でさえもあきらめと繋がらず“症状”を発してしまうことがある)

姉と父の愛情は、アスカにとって「あたりまえ」のものであって、「あたりまえ」のまま高校生にまで成長するが、お母さんの愛情は満たされぬまま、しかし、満たされないのは自らの選択のせいであるとは認められず、満たされないのはあなたたちがもっとがんばらないからだ、という話になる。

おそらく、アスカが母親の元で暮らすことになったとしても、似たような状況が出来してくるだろう。「お母さんは仕事仕事でちっとも私のことをわかってくれない」、とかなんとか。

アスカはどちらの元で暮らそうとも、慢性的に不満足な状態にさらされ続けてしまうということなのだ。

親のあり方が、いかに子供を傷つけるかといういい一例(こう書いたからと言って、離婚しないという親の選択こそが正解ということを言っているわけではない。きついことを言えば子供が傷つくのは不可避なのである)。

では、姉ハルカはどうか。ハルカは、自分の意思で父親との湯布院での暮らしを選び、選び取ったということを引き受けている。しかし、母親からの電話には居留守を使い、妹が父親を非難するのに対し、私はお母さんのほうが信じられない、と言い返すように、あくまで自分の選択を正当化している。

これはちょっとずるいのだけど、次週放送の予告の中で、ハルカが母親の手紙に涙しているというカットを見つけた。これは、ハルカもまた、お母さんからの愛情を求める心を抑圧していたということだ。アスカとの違いは、ハルカは二年分妹より余計に母と暮らせたという事実にあり、その二年の差が、姉と妹の性格の陰陽を決めている。