御巣鷹 沖縄

30過ぎて涙もろくなったとはいえ、先日の引退記念佐々木vs清原なんてものには、甲子園時代から見ていた選手たち(清原なんか西武入団後五年くらい大ファンだった)が、なんか派手に泣いてるの見て、かー・・茶番〜、としか思えないような質の人間なんですが、今日のTBSの日航機墜落の特番では、たぶん、この先、4,5年分の泣きを泣いてしまいましたよ。例のボイスレコーダー、最初の公開のときにも聞いてて、あのときはいきなりだったので、ただただ、唖然、でしかなくって、でも、今日のはいろいろ他の家族の話も聞いた後だったり、機長の家族の再現ドラマがあったりで、ことの他こたえた。あんなものを公開せずにはいられないような状況に持ち込んでしまった人非人ども(事故調査委員会やら一部マスゴミ)に呪いあれ。

事故当時、うちの姉やんも、国際線とはいえ日航の客室乗務員だったもんだから、夕方、あちこちから電話がかかってきたり、うちからもかけたりした覚えが、結構、鮮明に残ってたりする。

その姉が空を飛ぶようになったのは私が小学校の低学年の頃で、なにやら家族割引で沖縄に旅行ができそうだ、という話があって、そんな、家族でお出かけ、などという習慣が皆無だった田舎のくそガキとしては期待に期待を膨らませ、いよいよ来週出発、というところで、当時高校生だった兄貴に、お前学校だってあるんだし(三学期の途中、二月くらいだった)いっしょに行けるわけねーだろ、と言われ母親に確かめたところ、なるほど旅行は両親だけの話であることがわかり、さんざんごねて泣きに泣いたもののもちろんついていけるはずもなく、あの経験って、今も続く悲観的思考への決定的瞬間となっているような気もする。まあ、こんな風に考えられてる以上たいしたことないとも言えそうではありそうで、よく言えば、あれで大人になった(なってしまった)ということなのかもしれない。

で、その両親の沖縄旅行でのみやげで、今も忘れられないのが、沖縄戦の写真集とかいうやつ。中に、自分と歳の変わらないくらいの少女が写ってて、その子の足の傷に蛆がわいているのがあったんですよ。わさわさ、と。もう、それがショックでショックで。

ああ、なんか、これまで全然考えたことなかったんだけど、この後に続く、親の金盗んだ事件とか、第一次不良化のきっかけって、このへんにありそうという気がしてきた。んで、それが、さっさと「家-地域-学校」と問題になってくれたおかげで、ひとまずこれまで前科ものにならずに済んでいるような気がしてきた。(トラ箱入りは前科になっていませんのであしからず)