さまざまな戦略

夕方、いつも行ってるとことは違うちょっと離れた銭湯に行く。ここ数日よりいくらか涼しい。

そういえば、昼ごろ板橋は大山で雨に降られてまいったのだけど、東武東上線の駅にしてわずか三駅、六分ほど電車に乗って池袋につくとまったく雨の気配無し。

寒気は確かにそこまでやってきておりました。

その銭湯に行く道々、100m×50mほどの広さのお墓を隔てるずらずらと連なったコンクリフェンスの途中に、奥行き50cm、幅50cmくらいの人工的なへこみがあって、そのへこみに地蔵さんが祀られておりまして、ちょっと印象に残った。前からそこにそんなようなものがあるということは薄く感じてはいたのだけど、今日はどんな色かも忘れてしまったが何か色鮮やかなお花が供えられていたので、ちょっと記憶に残ったのかもしれない。なんとなく、いいなあ、と思いました。お墓の土地に食い込んでまで生き残っている地蔵さん。地蔵さんはお寺仏教とはちょっと系列、というかなんというか、違いますよね?

帰りは帰りでまたルートを変えたんですが、そこにもまた行きの道で出会った墓よりも一回りほど大きいお墓の横を歩き、そこの墓なめで見る池袋のビルヂングの様子が、なにか、ひどくこの世のものでなく見え、微妙に死者の世界に踏み込んだ気分に。

よくわからないんだけど、今年前半部の外的、内的な転変は、今も続く井筒読書から得たある種の「知恵」に収斂してきて、一皮、というか、一垢剥けたような爽快感がちょっとあったりします。「枯れた」と言えば聞こえはいいかもしれませんが、中島義道的に「人生を半分降りる」ことに、ようやっと覚悟ができたのかな、というか、違うな、「覚悟」じゃなくて、「そうなんだな」「そういうものなんだな」、という感じ。

うん。当座の危機は乗り越えたね。あとは何があってもok。

それで思い出した。

その昔、日本海海戦バルチック艦隊を破った海軍大将東郷平八郎脊椎カリエスだったか、もっと違った病気だったか、何か非常に痛みのある病気にかかったときに、中村天風という、今でいう民間療法団体というか新興宗教団体というか立ち上げた人に、この痛みなんとかしてくれ、と相談したら、天風先生、この病気は痛いのが特徴なんでなんともできません、とか答え、東郷さん、その答えに呵呵大笑されて、痛いのが特徴なんじゃしょうがない、と憂いが消えたとかいう話。なんか全然正確じゃないのだけはわかるんだけど、そんなような話があったことだけは覚えていて、痛いのが特徴なんじゃしょうがないな、というのは、結構、なんにでも言えることじゃないでしょうかね。

そんなの今風に「解離」とか言われちゃいそうだけど。でも多重人格(解離性人格障害)だって、意味無く、そうなってるわけじゃないから。