『不確かさの中を』②(昨日の続き)

この本の最後の部分には同じく精神科医中井久夫先生について話題が及んでいて、中井ファンの私としてはその部分だけは書店に並んだときに立ち読みし、その異能ぶりにあきれかったのでした。そこ、ほぼ全文になっちまいますが、まあ、そのエピソードの数々、読んでやってください。

p239
(滝口にもっともっと本を書くように進められた神田橋が、もう処女作のときのような情報量は盛り込めないだろうな、と謙遜、というか本音をもらした話の流れから)

(神田橋)情報量といえば、中井久夫先生はひどい人でね、「もう僕は何も書くことがなくなった。僕はだめだ」って言うの。あの人は、わかっとらんところがあってね。「僕みたいに酒も飲まずに、テレビも見ずにいれば、僕ぐらいの仕事は、たいていみんなできるんじゃないか」って。テレビを見なくて、酒を飲まなくて、あんな仕事ができるくらいなら、誰もテレビを見ないだろうな。

・・・・・十数年前・・・一緒に布団を並べて寝てね。僕も中井先生も寝る前に本を読む習慣があるから二人で読んでいたら、僕が日本語の本をめくる速さよりも、先生がドイツ語かなんかの本をめくる速さのほうが速いんだよね。すごい速さなの。中井先生はね、神戸から東京まで行くあいだに、ドイツ語の本を一冊読み終わって、精神医学関係の会議やらなにかして、帰りはフランス語の本を一冊読み終わるんだって。

脳が疲れているとき、貧乏揺すりがいいんだというのを、僕がちょうど発見した頃でね、中井先生に話したの。そしたら先生はしばらく考えていてね、「ああ、それはね、神田橋君、そうだよ」と言ってね、「僕は、東京へ行くときはね、ドイツ語の本を読むけど、会議なんかで疲れたときは、やっぱりドイツ語は無理で、フランス語の本を読むんだ。あのフランス語の持つ独特のリズムがね、疲れた僕の脳を癒すんだろうね」って。そこまではいいよ。「ねえ、そう思いませんか、神田橋君」って言うから、僕はフランス語もドイツ語もぜんぜん読めないけど、「いや、それはそうですよ」とか言っておいた。

(滝口)貧乏揺すりとフランス語(笑)

(神田橋)貧乏揺すりがどうしてフランス語になるのかねぇ。フランス語のリズムが会議で疲れた脳を癒すんだって。脳を癒すために本を読むような人が、世の中にいるんだと思ってびっくりした。いろんなことで「そう思いませんか、神田橋君」と言われるから、たいてい「そうですよ」と言っとくの。このあいだは「近頃、僕の書く英語がわかりにくくなった」って言われるの。「僕の書いたフランス語とドイツ語は、ネイティブの人に訊いてもぜんぜん変わってないと言う。だけど、英語だけがなにか変わってるらしい。どう考えてもこれは、サリヴァンの読み過ぎで、サリヴァンの文体がうつったんじゃないかと思いますが、どう思いますか?」って僕に訊かれるから、「いや、きっとそうでしょう」と言っておいた(笑)。中井先生とお話していると、図書館の棚がうわーっとこっちへ倒れてくるような感じがするね。毎分いくらというように情報が入ってくる。

山中先生から聞いた中井先生の話が、またびっくりするよ。ヨーロッパへいちばん最初に山中先生と二人で行かれたとき、「ああ、ヨーロッパってやっぱり実在したんですね」って言われたんだって。「今まで本の上でしか知らなかったけど、やっぱりあったんだ」って。そして、オランダの町を歩いていてね、「あの橋から三軒目に古本屋がありますよ」って中井先生が言われるから、行ってみたらほんとにあったらしい。

(滝口)まあ。

(神田橋)「先生は一度も来たことがないのに、どうしてわかるんですか?」と山中さんが訊いたら、「カフカの小説にそういうシーンが出てきた。カフカという人は作り話が下手な人だから、きっと事実を書いているんじゃないかと思ったら、やはりそうでしたね」と言われたらしい。小説のそんな描写なんか誰も覚えないよね。なんとか橋から三軒目に古本屋があるなんて、小説のそういうことをデータとして覚えるかな。

それからがまたすごいの。その古本屋に行くとね、オランダはいろんな国に占領されているから、ドイツ語、フランス語、英語、いろんな本があるんだそうです。中井先生がぱーっと二十冊ぐらい本を選び出して持っていったら、古本屋のおやじが「あなたは、ほんとうにいい本ばかりを選んだ」と言ってすごくほめたんだって。それで、山中先生が「先生は、どうしてこんな短時間のあいだに、古本屋のおやじがほめるようないい本を二十冊も選べたんですか?」と訊いたらね、「いいえ、常々欲しいと思っていた本だけです」と言われたんだって。常々欲しい本がいっぱいあるわけだ。「あった、あった、あった」とか言って。それじゃ選ぶのも速いよね。山中さんから聞いて、びっくりしたよ。それでね、そのあと先生は風呂敷が好きだもので、風呂敷をこうやって出してきてそれを包んでね、「山中君、君はこれから観光に行きますか。僕はこれをホテルで読みますから、さようなら」とか言って、さっさとホテルに帰っちゃったんだって。

(滝口)「さようなら」(笑)

(神田橋)すごいよね。

・・・・・・・・

(神田橋)・・・・助教授室には大きな本棚があって、ぎっしり本が詰まっていた。そのとき中井先生に、先生が本棚に本を裏返しに入れている話をして、どうしてなのか訊いてみたの。そのときは、裏返しになってなかったんですけどね。それよりももっと前、もっと頭が冴えていた時代のことでしょうね。「本棚の本の背表紙が見えると、ああ、あの本にはああいうことが書いてあった、こうだったといろいろ浮かんできて、うるさくてしょうがないから、全部裏返して置いていたんです」って言われたので、「裏返して置いていたら、本を探すとき困るでしょう」と言ったら、「いや、やっぱり本はね、シミとか、厚さとか、紙の色とかがあるから、だいたいは覚えているので、探すのはそんなに困らない」と言われた。

・・・・・・・・
(滝口)・・・記憶のしかたという点では、やっぱりなにか脳のしくみが違うように思います。

(神田橋)違うんですね、きっと。中井先生、ドイツ語でも、日本語でも、単語には全部色がついていると言われますよね。そして、「色の組み合わせが悪い文章の本は読まないほうがいい」って言われる。「神田橋君の文章は、実に色の配合がいいから、君も文字の色がわかるんでしょう」とか言って。あの先生は、なんでも自分と同じって考えるから。

そうだよなあ。これっくらいじゃなきゃ、あれだけの統合失調症研究の仕事はできないだろうし、あれだけの膨大な学術書の翻訳もできないだろうし、その上ヴァレリーの詩集の翻訳だのギリシャ語の詩集の翻訳だの出せねーよなあ。ギリシャ語だよ、ギリシャ語。英語とかから訳してるわけじゃないからねぇ。とんでもないよ。

中井先生の仕事は

http://www.logico-philosophicus.net/profile/NakaiHisao.htm

このへんで。そこのページからは抜けていた情報をいくつか報告したので私も多少貢献してたりします。実はまだ落ちてる情報があったりするんだけど面倒なんで黙ってたりする。

三十年くらい前になるのかな、東大出版から出されていた『分裂病の精神病理』というシリーズ化されていた本は名著の誉れたかく今でも増刷かかっているのだけど、それはそうだ。すさまじい面子だもの。主なところだけでも「甘え」の土居健郎、「ファントム空間論」の安永浩、「あいだ」の木村敏、「たましい」の山中康裕、そして我らが中井久夫。戦後まもなくあたりの文芸誌に三島由紀夫だの小林秀雄だの井伏鱒二だのが載っているのを発見して、なんてえ時代だったんだ、と思うのような濃さ。

中井の微分世界・積分世界と、木村のアンテ・フェストゥム、イントラ・フェストゥムと、安永のファントム空間論は、なにかこう、深いところからわたしの認知様式というか行動様式というかに影響を与えつつあって、それはどこで出会うかというとどうも武術の知恵だったりするのでありました。