『不確かさの中を 〜私の心理療法を求めて』神田橋條治・滝口俊子

精神科医神田橋條治臨床心理士滝口俊子による対談本。神田橋先生については以前

http://d.hatena.ne.jp/fkj/20041108

書いたように、偉人という意味のえらいではない、えらい人、と思っていたけど、それどころじゃないですよ。まーあ、たいへんな人だ。

あまりに面白くて一気に読み通す。でもこの本はそういうもんじゃないのかもしれない。ちょっとずつ噛みしめつつお二方の発言を血肉と化すくらいの勢いで読まないとまったく意味がないようにも思える。・・何度も何度も一気読み、という手もあるな。そうして意識に根を生やした知としてではなく、生活の中にひょいと出てくる身体知として繰り込まれることがなによりなんだろう。

P53

(滝口)私、大学時代に女性四人のグループがあったんです。聖歌隊に入っていまして・・・。

(神田橋)聖歌隊って、あの教会で歌う人?

(滝口)そうです。その聖歌隊の中の同期の四人で会を作って、卒業後に結婚して八人になって、回り持ちで会をしていました。やがて私の当番になったときに、会をやめてしまったんです。三人は専業主婦で、私だけがなんとか職業と両立したいという思いで子育てをしましてね、感覚が違ってしまったんです。同じ年齢で、結婚も四人ともほぼ同じにしましたので気が合っていたのですが、私が家庭や子育て以外のものに関心を持ち続けながら、彼女たちと会うのが辛くなってきたんです。

(神田橋)それは難しいね。どうぞ。

(滝口)それで毎年会うというその会を、私から止めてしまったんです。今も関係は続いていますけれども、かつてのように親密ではないですね。

(神田橋)人生の重なる部分が減ってくるからね。そんなふうになれるのがいいと思います。

(滝口)え?

(神田橋)重なる部分が減って、つきあいが続くのはいいの。僕は今でも西園先生ととても親しくつきあっているけど、重なっている部分は少なくなってる。学問上も。僕が『精神療法面接のコツ』(岩崎学術出版社1990)の中に、自立するための最良の方法は親孝行で、最劣の方法は家出であると書いているのは、師弟関係のメタファーでもある。これからは僕の今の解釈だけどね、あなたがもう一つ別のことを追求している、専業主婦だけでないという、そのことを気にするのは、本来は向こう側のはずだよね。

(滝口)ああ、そうだったかと思います。

(神田橋)ね。だから向こう側が気にしていることを、あなたが察知したと思うんだ。これは共感の一種じゃないかな、という気がする。こっちが気にしているのか、向こうが気にしていることがこっちに反映されているのか、それをどちらとも決めなくて互いに気にし合っている・・・・

自分から会を離れかつてのような親密さを失った友人との関係を話す滝口には、その出来事へのこだわり、憂愁、ダウナーな影、がまとわりつきはじめている。病的とまでは言えないけれど、うつの初っ端、ここから徐々に穴の中へと落ちてゆく下がり口。

ここで神田橋は、さらりと「そんなふうになれるのがいいと思います」と言う。滝口の「え?」では、もうおそらくその憂愁の霧は払われている。この、さらり、と言えてしまえるところと、「え?」の「?」あたりがすばらしい。「?」ということはそんな風に考えたこともなかった、ということだ。かなり優秀な心理士らしい滝口にしても、「?」と思ってしまう一瞬の技。ことば。憂愁に巻き込まれることなく、さらり、と身をかわし相手に「?」の反応を引き起こす。さらり、とは考えてしゃべっているということではないということだ。これもまたただの反応。そして、それは天分、才能というのではなく、作り上げられたもの、ということ。一朝一夕にではなく。

もう、ほとんど武術の名人技と変わるところがない。

宮本武蔵の逸話だったか他の人だったか、いついかなるときでもいいので自分に打ち込んできてみろ、と弟子に言ったが、絶対に打たれることはなかった、とかいう話は、武蔵(なり誰なり)が、四六時中誰かが打ち込んでくる、という構えを持って生きているというわけではない(そんなことは不可能)。そうではなくて、考えんでも打たれないような反応系(身体)が出来ている、ということなんだろう。

思えば、この本のタイトルは『不確かさの中を』だった。武術家甲野善紀先生は「不安定の使いこなし」を言われていた。