ダン・シモンズ『夜更けのエントロピー』

すばらしかった。

河出の奇想コレクションのシリーズはこれ以外テリー・ビッスン『ふたりジャネット』、シオドア・スタージョン『不思議のひと触れ』、エドモンド・ハミルトン『フェッセンデンの宇宙』、アルフレッド・ベスター『願い星、叶い星』とあって、どれもそれぞれに味わい深いものがありましたが、シモンズのこれは、奇想云々とは別に、普通の小説の年間アンソロジーとかに入っててもおかしくないような小説としてのたたずまいに、気品というか、感じてしまった(表題作あたりは全然奇想じゃないし)。内容としてはあきらかに品のないもの(「バンコクに死す」のセックスショーとか)が含まれてるのに、なんでそう感じるのか、ある程度通奏低音として流れてる喪失だとか傷だとかいった薄暗い部分の効果と言えそうだけれど、もちろんそれだけじゃなく、ナラティブの部分と描写の部分と回想と比喩と語り手の意見と情報と、まあ、それら小説に書かれることどもの按配、要するに読んでいるときのリズムがすばらしいんだろうなあ。翻訳ものでこの手の感じって、マーガレット・ミラーとかハイスミスとか、女流作家にしか感じたことなくって、男のではこの人のがはじめて。

「ドラキュラの子供たち」「バンコクに死す」は、奇想な部分を抜きにしても読み応えのある報道小説(なるジャンルがあるかどうか知りませんが)になってると思うし、その筆致のままゾンビの子供しか生徒としていない「最後のクラス写真」や、自殺しようと思ったら元教え子の女の子の夢想の中に紛れ込んでしまった「ケリー・ダールを探して」なども書かれているので、SFや幻想小説にありがちな入り込み難さがない。筒井康隆にも同じアイデアのものがあるらしい、ベトナム戦争体験テーマパークを描いた「ベトナムランド優待券」のこんな終わり方するか、という、でも、あー、なんかありそうではあるな、ってな薄ら寒さもよかったですが、やっぱり、デビュー作となったという「黄泉の川が逆流する」や「夜更けのエントロピー」といった、あからさまに喪失を描いた、ともすれば感傷的、あざとい、といって批判されそうな作品にこそこの人の核の部分はあるのだろうし、私がいれこみたくなるところでもあったりする。