地球大進化

昨日、というか本日深夜、ビールとズブロッカの飲みすぎで電気、テレビつけっぱで寝てしまい目を覚ますとNHK地球大進化なるスペシャル番組の再放送をやっていた。

再放送初回を見て全部見ようと思ってたけどすっかり忘れてて、絶対見たかった全球凍結の回も過ぎ去り、それでも『第四集 大量絶滅』のとこだけでも見れたのは行幸といったところか。

二億五千万年前、私たちの直系の祖先、哺乳類型爬虫類が地球を支配していた時代、スーパープルームなるマントル内の巨大な上昇流が引き起こす大噴火が全生物の95%を絶滅させたという。

噴火は大気中の二酸化炭素濃度を引き上げ温暖化をもたらし、温暖化は海水温の上昇とそれにともなう大陸棚のメタンハイドレートの融解を促進することによって、さらなる温暖化を進めてしまった。また、植物の壊滅的打撃やメタンガスによる酸素消費が、大気中の酸素濃度を著しく下げてしまったという。

そんななか私たちの祖先はどのように適応し生き残ったのか。

「胎生」というのは、そのような低酸素濃度の世界において、多量の酸素を確実に胎児に届けるためにとられた生育システムではないのか。

番組の中では、狂言回しとして山崎努が出ていて、彼のナレーションの中に、「荒ぶる父」としての地球、みたいなことが再三出てきて、これにひどく感銘を受けてしまった。

至上最も酸素濃度が高かったという時代の地球で覇権を握っていた私たちの祖先。黙っていれば、そのままその環境においてまどろんでいられたところに「荒ぶる父」は鉄槌を下す。

否も応もなく、そんな中でも生きていかねばならなかった我等祖先は、体内において酸素いっぱいの血液を胎児に供給することで生き残りを図る。

「荒ぶる父」の試練と、暖かく栄養(酸素)いっぱいの「母」の体内。

「荒ぶる父」の試練はほとんどの個体を死滅させてしまうことになるのだが、そんな中、体内という「母」の空間は次なる世代へと命を繋いでいく。

生まれたばかりの赤ん坊は、「思考」を介さずとも、おっぱいを与えられれば吸い付くし、不快であれば泣きもする。そのような「直」な生き方に「思考」はない。

「思考」は、赤ん坊備え付けの本能的反応と、環境側の応対、の「間」、に立ち上がるもの(こと)だろう。

「直」な生き方に「思考」はない。「思考」は赤ん坊が備え付けの「直」な反応が起こる前に位置付けられなければならない。でなければ「思考」する「意味」がない。「直」な反応を必用としない「間」は、それ自体、満足、安心、安定、といった、変化(応対)の必要がない状態でしかあり得ない。