鶴見良行「海道の社会史 〜東南アジア多島海の人びと」

宮本常一鶴見良行はいつか読みたいと思いつつなかなか機会を持てずにいて、ちょっと東南アジア近辺について調べる必要がでてきたところに図書館でこの本を見つけ「バナナと日本人」も「ナマコの眼」も後回しで読んでみた。

これが期待以上に面白かった。

そもそもタイとカンボジアベトナムの位置関係くらいしかパっとは思い浮かばずにいる程度の知識しかない地域で、スマトラ島でもなくジャワ島でもなくマニラやジャカルタやクアラルンプールでもなくマラッカ海峡でもない東南アジアを扱ってて、いちいち地図のあるページを行ったり来たりしなきゃならず、でもそれが苦にならない。

ヨーロッパの偏狭のアジア、アジアでも中国やインドやイスラム世界からの偏狭東南アジア、東南アジアでもインド中国を結ぶマラッカ海峡やマニラやジャカルタといった中央からの偏狭島嶼東南アジア。そういった偏狭の地、島嶼東南アジアを歩き回ることで、「中央主義史観」からはこぼれ落ちた偏狭からの社会史の構築を目指す。

中でも面白かったのが、北海道程度の広さのさらに四分の一くらいしかない南スラウェシの話。年間の降水量で四倍もの差が出る土地柄らしく、そこからくる複雑な気候風土が定着農耕の広がりを妨げ、土地を基盤とした権力が幅を利かせず、昔ながらの採取、焼畑農法といった移動を得意とする人々の間にとられた統治方法が、なぜか民主主義になってしまうってとこあたり。

<定着農耕社会では権力の基盤は土地だった。移動分散型社会では、権力の基盤は人間である。どれだけ多くの人間を配下に惹きつけておけるか。それがこの社会の権力の秘密である。定着農耕社会では農民は放っておいてもそこにいるから、年貢をとりたてられるが、移動分散型社会では、住民がどこへ動いていってしまうかわからない。

定着農耕社会で王は超絶神を利用して権力の正当化をはかったが、移動分散型社会では、王は民衆にたいするサービスを濃密にしなければならない。そうしないと、民衆はどこかへ行ってしまう。どこの社会でも、民衆は現実的である。

王の民衆に対するサービスはさまざまあるが、その中心となっているのは、もめ事の調停、すなわち判事の役割である。東南アジア多島海の村落社会を調べてみると、裁判は公開であり、被告、原告はおろか、村民全体に納得のいく判決を下す判事に人気が集まった。判事、つまり村長、王は、慣習法をよく学び、村内を歩いて、どこにどんな不満が潜んでいるかを知っていなければならない。

村長の権威は人望による。かれは日々、切磋琢磨しなければならない。したがって、大村長の息子が跡とりになれるとは限らない。(・・・)

このことを民衆の側からいうと、サービスの良い村長には、どこまでもついて行くということになる。村長の態度が悪くなれば、隣村の村長に駆け込んでもいい。引越しすることもできた。誰に忠誠を誓うかは、日々刻々と変った。>

民衆なき君主は収入を失うから生きていけない。

<村落国家の王は、神性もっとも薄き王だった。(・・・)

民衆が即位文書を朗読し、王--実際には村長、郡長に当る--がこれを承諾するという儀式はつい最近まで行われてきた。そして時代を経るにつれて、即位文書に慣習法の規定が組み込まれ、精密になっていった。それは村落憲法へと昇格していったのである。王の義務はますます重くなり、その不履行には罰則さえ定められた。曰く、

「長老と協議しない統治者は滅ぼされる」

「国に災害が続くのは、王が長老と協議しないときである」

「王はその一族や奴隷に民衆を苦しめる乱暴狼藉を行わせてはならない。もしこれを許せば、民衆は逃亡し、貴君は、“民衆なき君主”として収入を失い、近隣諸国の王たちから軽蔑されるだろう」

実際に、慣習法を成文化した村落憲法によって、追放されたり殺された王、女王があちこちにあった。>

ある国では憲法に「来るも自由、出るも自由」とはっきり謳われていたらしい。面白いなあ。むかつく王様だったら逃げちゃえ、って。

気候風土と産物と切り離されてない政治制度。あとは、そういう土地で見られる幻想(怪談とか妖怪とか鬼とか、そういったもの)の様子が知れたら、最高なんだけど、それは他の人の仕事だろうなあ。林巧とか、島嶼東南アジアまではさすがに行ってないか