内田樹「他者と死者 〜ラカンによるレヴィナス」④
長めの章でまとまり具合がつかめなかったのと、苦手のエロス関連の部分のひっかかりをどうにかしようと何度か読み返した。
『あれほど重要な文化を持つドイツから、ライプニッツとカントとゲーテとヘーゲルのドイツの深層から出現してきたヨーロッパのヒトラー時代というあの救いのない絶望を言葉にするのは非常に難しいことです。(・・・・)私は今日でもなおアウシュヴィッツは超越論的観念論の文明によって犯されたのだと思っています。(レヴィナス)』
「ホロコースト」はヨーロッパ形而上学を涵養したまさにその風土から生み出された。だとしたら、「ホロコースト」以後の時代に、再びそのような形而上学を基礎として、批判を下し、人々の傷を癒そうと望むのは節度を欠いたふるまいだということになるだろう。それは死者に対して敬意を欠くことになる。
透明で叡智的な「主体」、どのような歴史的出来事によっても汚されることのない、冷ややかで中立的な観想的知、そのようなものをヨーロッパ文明の「再建」の基礎にすえることはもう許されない。
この「出口なし」的状況をどう生き延びるのかという困難な問いをこの世代の卓越した知性は自らの課題として引き受けた。
レヴィナス、ラカン、ハイデガー、ヤスパース、サルトル、ブランショ、カミュ・・・
「死者たちは、<私>を自明なものとして措定することを<私>に許さない」という背理はラカンにのみ固有のものではなく、おそらく彼ら世代に共通した宿命なのである。
ここにある、“<私>”という表記は、その内実についてはともかく、執拗に“<私>”について考察を続ける永井均を思い出さざるを得ない。私(fkj)にとっては、永井の<私>は、内田によるラカンやレヴィナスの<私>(あるいは、単に、私)というより、“他者”とでも言ったほうがより近い感覚を覚える。
そして、自らも戦争捕虜となったもののフランス軍兵士という肩書きを持っていたということだけで、ユダヤ人であった一族の者たちとはまったく運命を異にしてしまったレヴィナスの次のような記述
私は私が受けた迫害についてさえ有責です。ただ有責なのは私ひとりです!私の「近親者たち」、私の「民族」、彼らはすでにして他者たちです。だから彼らのために私は正義を要請するのです。
レヴィナスのこのような『「私が受けた迫害」についてさえ私は有責である』という法外な倫理について読むと、どうしようもなく思い出してしまうのが、私が永井からうけた「倫理」のなんたるかを示す衝撃的な言葉『きみは人を殺してもよい、だから私はきみを殺してはいけない(なぜ人を殺してはいけないのか・河出書房新社)』なのである。
「他者」の他者性を毀損せず、<私>の基盤に「他者」があることを示そうと苦吟するレヴィナスやラカンと、あくまで、<私>、の特異さに固執し続ける永井の(ある時点での)立ち位置が、かくも似たものに見えてしまう面白さ。ほとんど感動と言ってもいい。
ここで、永井の立ち位置に、(ある時点)、と入れてしまったように、永井の書くものの中には、レヴィナスのそれを越え、ほとんど酷薄の極北とでもいったような地点が透けて見えているように感じる。
と、いつもそうなのだが、とりわけ本日のメモには個人的傍線という以上の意味の感じられないものでありました。