第四巻 立憲王政のこころみ

王党派と共和派の、ジャコバン派ジロンド派の、僧侶と農民の、議会と宮廷と人民と亡命貴族と国外勢力、ありとあらゆる党派の腹の探り合い、無為な議論と不決断、緊張の高まり、革命の王政との闘いへの前段階。

この第四巻の中に、革命のなかで重要な役割を果たすジロンド派の核としてロラン夫人なる人物を取り上げ一章を割いているのが不可解。いや、確かに立派な働きをしたのかもしれないけれど、純潔で偉大な心情の持ち主で勤勉かつ活動的であらゆる美徳を兼ね備えた夫人が、亭主以外の男とどうこうなる危険もあった、なんて話、何ページにも渡って書くようなことか?

話がくどくなるのを許していただきたい。----つぎの事実は、従前ほとんど注目されていないが、私生活のゴシップといったたぐいの瑣末事ではけっしてない。91年、ロラン夫人の身の上に重大な影響をあたえることがあったのだ。このころ、彼女の魂をはげしく燃えたたせた特殊の原因を赤裸々に見きわめなければ、この時期以後彼女の実践した強力な行動は、かなり理解がむずかしくなろう。

わざわざ、こんな風に書いてまでロラン夫人の“ゴシップ”を取り上げるところに、ミシュレのろまんちっくな思いが語るに落ちるででてきているようで面白い。また、この訳書は、全部訳すと四百字詰め七千枚弱となるところを千二百枚にしていて、かなりの部分、字のポイント数を変え要約としてあるのに、やっぱりロラン夫人の部分はほとんど全訳になってるところが訳者たちの思いが以下略。

僧侶が神と国王の名において、内戦をおっぱじめようとしていた。「僧侶にかんする民事基本法」にたいする法王の反対が効き目をみせはじめたのだ。1791年5月31日、ヴァンデからの秘密の訓令が全フランスに送られる。新体制に忠誠を誓った僧侶のとり行う洗礼も婚礼も埋葬も、すべて無効だという。信心深い農民は宣誓を拒否した僧侶たちにたよらざるをえない。そして彼らの口から反革命のたねがばらまかれる。
これに対抗するためには、革命は、うつろいやすい人間の感情だけにたよるのではなく、利害にうったえる必要があった。その武器こそ、教会から没収した国有財産の売却にほかならなかった。
売却ははじめは遅々として進まなかった。農民が旧教会財産に手をつけるのをこわがったらからだ。最初にきめられた期日、91年3月24日には、まだ一億八千万リーブルしか売れていなかった。まず五月まで日延べ、さらに92年1月まで日延べ、これでやっと農民も思い腰をあげ、三月から八月までの五ヶ月間に八億リーブルが売れた。
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結局のところ、国有財産の売却は何を意味するか。たくさんの人間が革命の大儀に財産を賭けたこと、おそらく財産以上に生命を、さらに生命より自分の家族の運命を賭けたことを意味するのである。

こういうところが面白い。人々は(人は、でなく)、何のために行動を起こすのか。どれほどの意志を傾けてそこに参加するのか。

最初のバスチーユ攻撃の部分を読んでいるときから、なんとはなしにフランス国家「ラ・マルセイエーズ」が頭の後のほうで鳴っているような気分がしていて、それがこの巻に出てきた。具体的には覚えていないんですが、あれって、かなりいけいけどんどんの血なまぐさい歌詞だったような覚えがあって、野蛮、に近い勇猛果敢というか。メロディもそういう詞だと意識して聞くとそれっぽいし。もとは国外勢力(あるいは国内守旧派)の攻撃に対する抵抗の声、のようなもので、タイトルも「ライン軍の歌」。どこかお祭騒ぎバカ騒ぎ、といった風情もあるフランス革命の気分にぴったりな国歌に感じられ、そういう国歌の成立事情というか、ちょっとうらやましい気もする。