豊島区中央図書館リサイクル市

整理休館明け恒例リサイクル市へ市民の義務として資源ごみの無料ひきとりに行ってさしあげる。

午前9時整理券配布、10時開館の予定が、今年はレコードやカセットも放出ということでか思いのほか人が集まりすぎたらしく開館を30分繰り上げた。わたしは8時ちょっと過ぎくらいに行ったのだが、もう前に40人いた。狙いのジャンルがバッティングしそうな雰囲気の人間は一人か二人。でも待ち時間に本を読んでないのでたぶんレコード、カセット狙いと見る。

パラリパラリと小雨が降る中、先月飲みにいった帰りに借りた借りっぱなビニール傘を差しながらミシュレの「フランス革命史」を読んでスタートを待つ。職員が時間を早める旨、拡声器で説明。後のほうで頭が弱いキ印の入ったっぽいバカが「聞こえねーよ!」などと威張っている。こいつは整理券番号順に並べられているときも、並べ方が悪いだの手際が悪いだのでかい声で誰にとも無く文句を言っていて、近くにいたらこっちがムカムカしてもめごとを起こし、その場から叩き出される恐れもあったので助かった。

整理番号順に並んで10人ずつ入場させるのにエレベーター方式を使うのだが、42番の私は並びの前だったからエレベーターの奥にいくことになり、(降りて会場に入る時点で後のほうになってしまうではないか)、とアンフェアなオフィシャルに憤りを感じる。

人文・社会がまとまったストレートにはまったく見るものはない。医学書のあたりに神谷美恵子著作集の何冊かがあるが、他に欲しいものがなんにもなかったら貰ってこう、と考えてスルー。理工、数学のあたりもこれといってない。そのへんで、俺の後に並んでいた友人同士らしい二人が、どうもわたしと似たような動きをしていて勝手にライバルであると認識した。

文庫コーナーでかなりきれいな「断腸亭日乗」(岩波文庫)上下発見。これが今回の目玉になりそうだと予感。そのすぐ近くにジョナサン・ケラーマンの「トラウマ」上下もある。が、こちらは、バックに入れていたら雨に降られて濡れてしまったようなしみとふやけがあるのでちょっとどうしようか考えた。(まあタダだしな)。そういうことだ。

外国文学のコーナーにはデ・リーロの「リブラ時の秤」上下。これは去年も見かけた覚えがある。さては貰われ損ねたのか。不憫に思うがたぶん一生読まないと思うので見て見ぬふりをする。よき読者に貰われて幸せになりたまえ。

日本の小説のところはあまり注意して見なかったけれど、今考えてみると、昨年だったか一昨年だったか田中コミさんの「なやまない」を手に入れたことがあって、もしかしたらそういう目玉があったかもしれぬと後悔の念に苛まれる。あそこが山だったかもしれないのだ。

その時は何も感じていなかった私は、最終、エッセイ・随筆コーナーに侵入。ブレーキをロックさせ白煙を上げつつ長田弘「私の好きな孤独」を掴むとすぐさま平井啓之「テキストと実存」を発見、そいつは激しいクラッシュの衝撃でボロボロ、赤ペンで血まみれ、という状態になっていたためもはや手遅れとその場に残し、三浦雅士「疑問の網状組織へ」同「小説という植民地」をいまさらな気分で見送ると、無理な体勢から高山宏「目の中の劇場」というアクセルを踏み込みスピン。読まず部屋下沈殿という予想が立ったにも関わらずそれを手にしたのは、この先なにがおこるかわからなかったからだ。いつ何時、読みたい時がくるかもしれないではないか。

しずかにシートベルトを外し、車から降りた私は、最終コーナーまで歩き平井の本に手を合わせつつ三浦の二冊を拾いあげ、重い足取りで帰宅した。