第三巻 一進一退

ジャコバン派の台頭、ミラボーの死、ルイ16世の逃亡・逮捕の模様を事細かに。

P154(中央公論社「世界の名著」シリーズ37)

選良は才能を前提とし、人民は素朴で根づよい本能の力をもつ。中間精神にはそのどちらもが欠けている。この精神は、人が高くもなく低くもなく、ちょうど同じ高さ、つまり中間的、平均的でいることを強調する。この精神は疑りぶかいくせに、けっきょく凡庸な策略に牛耳られてしまうのだ。大革命の上げ潮はこうした活動的な凡庸を権力の座に導いていったのである。
中間階級、ブルジョワの階級の最も気ぜわしい部分がジャコバンで騒いでいたのだが、いまやこの階級の春がきたのだ。あらゆる意味でほんとうに中間の階級。財産において、精神において、才能において中間の階級。偉大な才能はめずらしい、政治的創意にいたってはもっとめずらしい。ことばはひどく平板、いつもルソーの口写しばかり。十六世紀とはなんと大きな相違。その世紀ではみなめいめいが強力な、自分がつくった自分のことばをもっていた。その力強い欠点はかえって人の興味をひき、おもしろがらせたものだ。

『ルソーの口写し』。はは。<大革命の上げ潮はこうした活動的な凡庸を権力の座に導いていったのである>とあるけれど、そもそも、その上げ潮をつくったのもまた、そういう凡庸さだったんじゃなかろうか。熱狂的な凡庸さ。「自由・平等・博愛」とは実にわかりやすいスローガンだ。わかりやすいというか単純。識字率もそれほど高くなかったであろう時代に人間の動員をかけようとするにはもってこいだろう。

このフランス革命史を読んでて良かったと思うのは、いろんな階級、派閥、国家、そういった塊が、一枚岩ではないという当たり前に気付かさせてくれるところだ。それぞれの利害や思想的感心や感情で、ばらばらになり他の塊にくっつき逃げ出し、とまっすぐには転がっていかず、じゃあその中で生き残っていくのはどういう塊なのか、と考えると、いえるのは、人をたくさん集めたところ、という風になってしまう。大きな声と耳障りのいいスローガン。ただし、スローガンはいきなり多数の人間を動かしはしない。まずは、そこを活版印刷が切り開いていた、ということなんだろう。

人をたくさん集めたところ、が結局のところ勝ち組になるというのなら、誰も変わったことをしたくはならない。ミシュレによれば、個性個性と言わなくたって、個性的にならざるを得ないような時代があった。それが徐々に徐々に、塊を形成し出す。同じ言葉を読み、同じ言葉を口走り、同じ目標を持って(ると思って)走り出す。

話変わって、ミラボーの死についての記述にこんなくだりがあったのが気になる。
P158

人民がいかに熱心に彼の病状を知りたがっているか。彼の安息をさまたげてはいけないと、群集がいかに敬虔と沈黙とを守っているか。そのありさまをミラボーに告げる人があった。「おお!人民」と彼は言った。
「こんなに善良な人民のためには献身的にはたらく値打ちがある。人民の自由を創始し確立するためには全力をつくす値打ちがある。人民のために生きるというのはわたしの栄光だった。そしていま、人民のただなかで死ねるというのは、うれしいことだ」

国中大混乱、となっているなかでちょいちょい見出される、“人民”のこういう自然発生的倫理的行動というのはどこからきたんだろう。これもベストセラー「聖書」から?。あそこはカトリックだったから、また違うところからなのか?