「語り・物語・精神療法」北山修・黒木俊秀編著

北山修が中心となって立ち上げた日本語臨床研究会の第九回大会の発表の一部と症例検討会の模様を収めた本書。なんといっても白眉は神田橋條治参加のもとに行われた症例検討会ライブ。

サイコセラピストを目指す人(私は違いますが)なら必携らしい「精神科診断面接のコツ」をブックオフで安く買ってあったことはあったのだが、さして注意を引かれるような人ではなかったところにこれを読み、えらい人もいたもんだなあ、と度肝を抜かれた。えらい人、というのは偉人という意味のえらい人じゃなくて、・・・・・・えらい人。

九大の大学院生が持ち込んだ症例報告に対して、ポイントポイントで神田橋がちゃちゃを入れる、というのもへんだけれど、そのちゃちゃ入れによって報告の中で流れすぎていってしまうような治療者側(報告者側)のちょっとした言葉使いに傍線を引き注意を促している。それがその場その場ですかさず出ているので報告がなかなかすすまずこれがまた微笑ましい。この本、帯にも「検討会ライブ」と銘打っているように、報告とその検討が主というのではなく、その場の全体の雰囲気をなるべく掬い出そうとしているらしく読める。例えば報告自体がはじまる前段階からその様子は描かれてい、検討会終了の時間の確認を司会をつとめる北山が間違ったことを神田橋は指摘すると「僕は昔の精神分析をやってた人たちと違って、この間違いにいろいろ言わないことにしてるから」と会場を笑わせているのがわかる。その辺りのやり取りによって、神田橋はあきらかに場をうち解けた雰囲気にしていて、これは半分以上意識的ではなく、そういう風に訓練されている、あるいは単に習慣化してしまった反応の結果なんだろうけれど、現場にいたら、これだけで、あ、こりゃあすげーや、となっただろう、対話の妙がきれいに表われているように思われる。

一部つまみだしても意味がわからないとは思うのだけど、そのやり方の面白さの一端でも感じられればといくつか気に入った部分をあげると

僕はあなたの抄録(症例報告)を見てね、言わないでおこうかな、言っていいかな(会場笑)、「しとやか」って書かずに「おしとやか」って書いてる、この「お」がくせ者だと、それがすべてを表してると思った(会場笑)

「最悪」と言う場合はね、これは原則だけど、本人の中の健康なものがいちばん盛り上がっていて、それを妨げる外界との戦いが最高潮だという意味のことが多い。そこで敗北して、それから以後は敗者として生きてきたわけ。

(報告者)「自分以外の家族は、ホームドラマみたいに幸せそうで許せない」ということ言われてました。

(神田橋)面白いね、「ホームドラマみたいに幸せで許せない」って言う。

(報告者)「弟と親が仲がよいのを見ると、CMの幸せな親子を見ているようで腹が立って仕方ない」ということをおっしゃってました。

(神田橋)腹が立つというのはね、いいのよ、自然だから。「許せない」と言うのは、許すことができないわけでしょう。これは、許そうという意欲がないと出てこない言葉なの。そうじゃないのかもしれないけれど、「許せない」っていう言葉が出たら、この人は許そうという気がひょっとしたらあるのかもしれない、だけど許せないということかもしれないな、と思っておく。言葉ってのはそういう語られないところが、ついつい語るに落ちるで出てくるときがあるのよ。それをつかまえるといいんだ。

(報告者)なかなか話が進まないんですが(会場笑)

あげていけばキリがないし、この検討会を受けての神田橋の講演、および参加者からの質問、とあってどれもこれも面白い。そして質問の最後に司会者特権ということで北山がこんなことを聞いた。

(北山)さっきのセッションで多分、多くの人がそういう印象を持たれたと思うけど、浅田さん(報告者のこと)が一言、言うだけで、先生がものすごい気づきって言うか、早く気づかれるじゃないですか。私も含めてだけど、あんなに早く気づけないと思うんですよね。よく分からない間がずいぶん続いて、ようやく分かってくるというプロセスがあるだろうと思うんです。先生も実際はそうなんじゃないかなと思っているんですが、さっきのセッションはセラピストを通しての理解だから、ちょっとハイライトめいた話だっただろうと思うんですが、いかがですか?

(神田橋)それは、その通りです。このような場面では、喋ってる人が全体を把握して喋ってますから、一言の中に、その人が把握している全体が何らかの形で、匂いとして乗っているわけね。だから僕が実際に治療しているときには、こんなには読めません。だけどこの技術は、僕が接している患者さんが、自分の親について語っているときには使えます。それは親の全体像をその患者は長年付き合って知ってるわけですから、患者が一言、「うちの親はですねぇえ」と言ったら、「ねぇえ」というような感じの親子関係だろうなぁということは読めます。それでいいですか?

(北山)後でよく考えてみます(会場笑)

いいなあ。このライプ見てみたかったなあ。神田橋もさること北山がいてこそのこの本だわ。

あ、それと北山編集ということで思い出した。豊島区図書館では北山、小此木啓吾編集の「阿闍世コンプレックス」も盗まれてた。さらに最近全然見ないからおかしいと思って予約を入れてみたデリダの「有限責任会社abc」の行方が不明、と電話がかかってきやがった。おめー、いいかげんにしろよ。あと、市川浩の「身体論集成」も登録から消えただろ。ふうううざっけんな!