永井均「私・今・そして神 〜開闢の哲学」

「本」という雑誌に連載されていた「ひねもすたれながす哲学」を大幅加筆訂正してまとめた講談社現代新書の一冊。タイトルはもとのほうがいいと思う。著者と編集とどっちの意向だろ。講談社現代新書シリーズ全体の新カバーも激しく萎える。どっからどうみても手抜き。ただひたすら安っぽくなっただけ。

連載時、図書館で「本」を借りて半年分くらいコピーしたりと追っていたのだけどちょっと集中が続かなくて一冊にまとまるのを楽しみにしていたんですがまだ読んでなく、それでも取り上げるのは「ひねもす」にはなかったまえがき部分が面白かったので。

中学生のとき、理科室の備品がなくなるという事件が起きたことがある。先生は生徒の誰かが持って行ったのではないかと疑っていた。その同じ日の午後、クラス全体に向かって発言する機会があったので、私は「物は突然ただ無くなるということもありうるのではないか」という趣旨の発言をした。そういうことはありえないということは、いつ誰が証明したのか、と。
クラス担任から私の発言を聞いた理科の先生から、私はそういう「無責任な」ことを言ってはいけないと諭された。いま思えば、理科の先生なのだから、あらゆる出来事には原因があると考えなければならない理由を説明してくれてもよかったような気もするが、もちろん、そんな説明はなかった。私は、肩透かしを食ったようで少し残念ではあったが、まあそんなものだろうと、思った。
ところが、意外なことに、私の発言に賛同する生徒たちが現れた。その趣旨は「君の言うとおりだ、やたらと生徒を疑うのはよくない」というものであった。もちろん、私はそんなことが言いたかったのではなかった。
私は、私を叱った先生よりも、私の発言を支持した生徒たちから、理解されなさを強く感じたのを覚えている。

はじめに、面白い、なんて書いたけれども、ある意味、これはかなり怖い事態だと思う。悪意もなく表面上は味方でさえあるのに、自分が大切に感じている点において、回りではまったくなにも無いことになっちゃってる。「無いこと」でさえ無い。
中島義道が「うるさい日本の私」という本のなかで書いていた、駅や商店街やらのほぼ無意味な「ご注意ください」「どうしてください」「ああしてください」というアナウンスや、ラウンジ・ミュージック的な音楽の放送に我慢できなくて抗議するんだけど、相手方は「親切でやってるんだ」、とか、「みんな何も言わない」、とか言いつくろって、まったく取り合ってもらえなかったってのとよく似た状況にも思える。中島はここで脱力せずに怒りまくって自分も相手も傷つくことは百も承知でひつこく抗議しときには怒鳴ったりと、世間へと行動し続けた。
永井のはもっと、なんというか根源的なところがあるような気もするけれど、それにしたって<ふだんはみんなと口裏を合わせて、なんとなく適当なことを言っておいて、本当に言いたいことは自分の哲学としてだけ語ることにした>結果、この「私、今、そして神」という本に反映したという学生たちの発言やレポートが出てきたんだろう。それは「理解」のされかたの一つであり、喜びでもあったろう。

そういうことがまるでないところでも、永井は哲学し続けられたんだろうか。

いや、違うな。誰もなにも感じてないところに呼び寄せられていたからこそ、こういう「永井均」という人になったんだろうな。

しかし、中島の奮闘にしろ、永井の感じたであろう徒労感にしろ、それでも、“それ”に拘り続けていく気力というかエネルギーというのはどういうもんなのか。「ひねもす」連載初回で永井は<五十歳になって、ますます社会的人間であるための気力のようなものが保てなくなってきた>とあったけど、社会的人間であることこそ気力がなくてもやっていけそうなとこってないか?。