第一巻 革命のはじまり

シービスケット」にはここ最近あまり読んでなかった歴史読み物への興味も呼び覚まされて、いきなりだがミシュレなんぞを読むことにした。

まだほんのさわり程度しか読んでないけど、現代風な目から見るとどうしても、面白いんだけどおしいなあ、という感想がでてきてしょうがない。

冒頭に書かれた訳者の解説の中で<私たちは本書に導かれてこの壮大な劇的事件のさなかに立って「ミシュレとともに、見、聞き、触れ、そしてにおいをかぐのである」(ダニエル・アレヴィ)>とあるように、学者が書いた歴史書というにしては局地的というかクローズアップ的というか、そういう描写もなされて、第一巻のメインイベント、バスチーユ攻略前の緊張感を結構かもし出しグッと引き込むんだけれど、それでもやっぱりエンタテイメントずれした目からみると、もうちょい、なんとかトリートメントしてやったら抜群に面白くなったろうになあ、と思わずにいられない。まあそんなことしたら、全文翻訳するとなると概算6600枚になってしまうほどのものが、いったいどれほどに膨れ上がるかわかったもんじゃありませんが。それに、想定している読者なら当然知っているだろうという常識を欠いた現代日本人、というか私、にはどうしても乗りかかってはつっかえ興奮しかかっては「?」となってしまうところが多分にあるのが不利に働いちゃうのはどうしょうもない。

そもそも歴史書なんてほとんど読んだことないのに学者っぽいとか学者っぽくないとか、よく言う、という感じですが、マリ=アントワネットに対する以下のような書き方は、いかにも偏ってるっぽくて少し笑える。

王妃が通ると、ざわめきがおこり、女たちは叫んだ。
「オルレアン公万歳!」
王妃の敵の名をよぶことで、いやがらせようというわけだ・・・。王妃はすっかりこたえて、あやうく気を失いそうになった。かろうじてささえられた。だが、彼女はすぐ気力を回復し、昂然と顔をあげた。このとき、彼女はまだ美しかった。これ以後、王妃は、公衆の憎しみにたいして、毅然とした、またさげすみに満ちたまなこで、これを払いのけようとすることになる・・・。なさけない努力。そんなことで、人は美しくなりはしない。王妃おかかえの画家、ルブラン夫人が1788年に書いた荘重な肖像画が残っている。画家は、王妃を愛しており、愛情で彼女の姿を飾ろうとしたのにちがいないが、なにかしら人を見くだした、いやな、かたくなな感じが、すでにそこに感じられる。