内田樹「寝ながら学べる構造主義」②

第六章「四銃士」活躍す その四--ラカンと分析的対話
P189

昔、二人のお爺さんが隣り合って暮らしていました。二人とも、頬に大きなこぶがありました。あるとき、一人のお爺さんが山で雨にあって木の洞で雨宿りをしていると、鬼たちがやってきて宴会を始めます。はじめはこわごわ見ていたお爺さんですが、そのうちに調子に乗って、いっしょに舞うと、これが鬼たちに受けて、「明日も来い。これはカタにとっておく」と言ってこぶを取られてしまいます。この話を聞いた隣りのお爺さんが翌日山に出かけて、同じようにひとふし舞ってみせたのですが、これは不評で、鬼に両方の頬にこぶをつけられてしまいました。おしまい。・・・・
・・・・二人ともいずれ劣らぬお粗末な素人踊りを鬼の前で披露したにもかかわらず一方は報酬を受け、一方は罰せられました。
あらためて考えると、実に不可解な話だと思いませんか。どちらも区別しがたいほどにへたくそな踊りをしたのに、一方は報酬を受け、一方は罰せられるなんて。
実はこの物語の教訓は「この不条理な事実そのものをまるごと承認せよ」という命令のうちにこそあるのです。
この物語の要点は「差別化=差異化=分節がいかなる基準に基づいてなされたのかは、理解を絶しているが、それをまるごと受け容れる他ない」と子どもたちに教えることにあります。
物語では鬼が実際に登場しますので、私たちはついその派手なヴィジュアルに気を取られて見落としがちですが、実はこの話は鬼は単なる機能であって、どんなかたちをしていても構わないのです。
「鬼」とは、ある差異化が行われた後になって、[誰か]が差異化を実行したのだが、その差異化がどういう根拠で行われたのかは決して明かされない」という事実を図像的に表象したものです。つまり、「鬼」というのは存在する「もの」ではなく、「世界の分節は、[私]が到来する前にすでに終わっており、[私]はどういう理由で、どういう基準で、分節がなされたのかを遡及的に知ることができない」という人間の根源的な無能の「記号」なのです。


笹澤豊「道徳とその外部」
P44

ヤハウェはサタンにいわれた。「おまえはわたしのしもべヨブに心をとめたか。彼のように潔白で正しく、神を畏れ、悪から遠ざかっている者は一人も地上にはいない」。サタンはヤハウェに答えて言った。「ヨブといえども理由なしに神を畏れたりするものですか。あなたは彼と彼の家と彼の持ち物のまわりに垣をめぐらしておられます。あなたが彼の手のわざを祝福され、彼の家畜は地に増え広がっています。しかし、あなたの手を伸べ、彼の持ち物を打ってごらんなさい。彼はきっと、あなたに向かって呪うに違いありません」。ヤハウェはサタンに言われた。「では、彼の持ち物をみなおまえの手に任せよう・・・」(ヨブ記1・8--12)
(ヨブは、或る日突如として財産と十人の子どもすべてを失うという不幸に見舞われる。そしてさらに追い討ちをかけるように、全身に悪性の腫れ物ができ、以後ヨブは灰の中で、昼となく夜となく激しい痛痒に苛まれながら、蛆にまみれて暮らされねばならなかった。親族にも友人にも妻にも見捨てられ、近所の子どもたちにも嘲笑される孤独の生活に耐えて、ヨブは心をかき乱される毎日を送らねばならなかった。)
ヤハウェを畏敬する者になぜ災いが及ぶのか。悪人が栄えるのはなぜなのか。それは、・・・ヤハウェの正義がそもそも幸・不幸の生起する人間的利害の地平とは無縁のものだからである。

ところで、ヨブ記の最終的な結末は、悔悟したヨブに失った財産の二倍に相当する財産を与えられ、新たに十人の子どもを与えられ、以前にも増した繁栄の中で、幸福な長い生を送った、ということらしい。これは、悔悟したから幸福になった、という人間的利害の地平に基づいた結末である。

さらにもう一つ引用したいのは、永井均「マンガは哲学する」の中、業田良家自虐の詩」について書かれた部分について。「自虐の詩」は読まれた方も多かろうと思いますし、またここでへんなあらすじを述べても未見の人の興を削ぐことにしかならない気がするので、とにかく是非読んでほしい(永井も、どこを切っても血が噴出すほどのテンション、と書いている)のですが、それでも必要な要点だけ言うと、母親に捨てられ父親と貧乏生活を送り東京に出たら覚せい剤中毒の売春婦に身を落としたような女主人公が最後に至って次のような境地に達するわけです。

・・・この世には幸も不幸もないのかもしれません。・・・・この人生を二度と幸や不幸ではかりません。なんということでしょう、人生には意味があるだけです。ただ、人生の厳粛な意味をかみしめていけばいい。勇気がわいてきます。

永井は、このマンガの終わり方について、感動的だ、と書く。ところが

感動的ではあるが、幸江はやはり幸福になった----今の状況は幸福なのだ----という印象はぬぐいがたい。幸江にイサオ(亭主)が現れず、そもそも熊本さん(親友)にも出会わなかったとしたら、それでも幸江は、「ジャブ中の立ちんぼ」の境遇のままで、人生には----幸や不幸ではなく----意味があるのだというこの覚醒に、到達できたであろうか。そうは思えないのだ。たまたま事実として、彼女は幸福になれたようにしか見えないのだ。まれにみる傑作であることは疑いえないが、手放しで賞賛できない理由がここにある。

最初にこれ読んだとき、なんとまあ、酷薄なことだろうと、ひぇ〜、と笑うより他なかったんだけど、それがいかにも永井らしい、というか哲学らしいという気も同時にした。

それにしても、人って、ヨブや自虐の詩の幸江のような結末ないところに、よく生きられるものなんだろうか。・・・・・