3年B組金八先生7

初回の2時間スペシャルはでんでんだめでしたね。
シリーズ2をリアルタイムで見ていた人間にとってあれを超えるものを創るのは無理だろうと思ってたところ、ほとんど奇跡的なテンションを最後まで持続したシリーズ5の大成功によって妙な伝統というか神話というかできてしまったように思う。だってシリーズ5なんか、なんでいまさら、ってな雰囲気の中ではじまったでしょ。あれがなきゃ25周年だなんだと大騒ぎすることなかったはずだもの。あの成功に気をよくしたのか、もともと流行の「問題」に敏感な脚本家が「性同一性障害」だの「報道被害」だの頭でっかちなトピックを持ち込んだせいで、ただでさえ説教くさいドラマがより以上に教育テレビ化してしまったという印象はぬぐえない。いまや最前線で活躍する上戸彩や次期NHK朝ドラの主人公を演ずる本仮屋ユイカ斉藤祥太にお財布ケータイCMの佐藤めぐみ、ジャニーズのNEWSのメンバーだの相当優秀なメンツが集まったにも関わらずどうにも再放送があっても見たくなるシリーズにならなかったのは確か。
 そのシリーズ6ではそれまでの金八のあまりな名人芸的先生像を補償でもするつもりなのか息子の病気に対しての無力っぷりを丁寧に描いて、そのクセ生徒を火事場から救い出すなんていうズレた展開があったりもしたのだけれど、まあそれはよしとしよう。とにかく脚本家か武田鉄也か、どちらかがスーパーマン的金八じゃあなく卑小で不器用で困惑する人間像にしたいって意図があったんでしょう、シリーズ7は初回放送から金八が昔の生徒と引き比べて、どうして君たちは、ってな現生徒を批判するような台詞を吐かせた。こりゃあ、どう考えてもありえない。というかシリーズの流れをまったく無視してる。
 シリーズ2にしろ5にしろ、闘うべき相手(加藤優なり兼末健次郎なり)が明確にしかも手ごわそうに描かれ、それに対して金八はどう応じるか、というところが物語の勘所になった。どう応じるか、というその答えとして、人間と人間の勝負だ、とか、魂の問題だ、というかいう台詞があったんではなかったのか。そこに臭さを見出す人も多いんでしょうがおいらには大変納得するところがあったんですな。なるほどこれだけのことを言えるんだったら手ごわそうな敵とも(というかまあ生徒なんだけれども)面白い勝負が見せてもらえそうだ、と。ところが、クラス全体の手ごわさとしてはこれまでとそう変わらなく描かれているようにしか見えないのに、件の台詞に見られるとおり金八の能力を下げることによって敵(生徒たち)のワルさを相対的に大きくしているように見え、そんなんじゃあこれまでの金八を見ていた者に満足できるわけがない。五輪でメダル取れる実力があるってわかってる選手に手抜きさせてアジア大会で好勝負を演じさせて何が面白いっていうのか。少年ジャンプじゃあるまいしそうそうわけのわからない巨大な敵をつくるのも大変だ、ってのもわかるけれども、別にそんな巨大な敵じゃなくてもいいから、それまでの金八の能力を都合で割り引くのは興を削ぐし、だめになった像を描くってんならそれなりの展開にしてくれないとすべてのシリーズを見てるものとしてはまったく納得いきませんね。