和田はつ子「心理分析官」

 トマス・ハリスレッド・ドラゴン」や「羊たちの沈黙」あたりを狙った作品(でしょう、どう考えても)。
キャラの創りに興味を引く逸話があるわけでもなく説明じみた文章がだらだらと書かれているせいかいささか冗長に感じられた。
 プロファイリング、っていうのが統計に基づいた犯罪者の分類、という認識があったので、いわゆる安楽椅子探偵っていうのとかわるところのない単なる知的なお遊びなのかと思いきや、わりかしその「心理分析官」という立場がターゲットとなって物語がすすんでいるからもっとこの作品が収められた角川ホラー文庫に相応しいはらはらどきどきの展開になってもよさそうなのに、どうもなんだか中途半端な印象のみが残った。
 内容より春日武彦によるあとがきのほうがどちらかというと面白かった。以下引用。

マステリーと呼ばれる用語がある。何らかの悲惨な事件に遭遇したり、ショッキングな出来事によってトラウマを負った人々が、わざわざそうした嫌な出来事を思い起こすような、あるいは象徴するような行為を繰り返すことを指す。子供でいえば、目の前で両親がテロリストに射殺される光景を体験したあと、人形を使って「人殺しごっこ」を何度も遊びで表現するようなケースである。そのようなものを見て、大人はうろたえる。その子供が狂気を芽生えさせてしまったのような衝撃を覚えることすらある。
 だがそうした陰惨な遊びには意味がある。自らの手でトラウマの原因となるような出来事を反復することによって、今度こそ自分がその出来事を神のように司り、乗り越えることが可能となるのではないか。少なくともそのような錯覚もしくはファンタジーを体験することが可能となる。・・・・
 ・・同じ出来事を繰り返すことで、一種の慣れというか免疫を体得することを無意識のうちに期待してもいる。おぞましい記憶の毒を薄め、無化してしまう儀式としての機能である。
 反復には、そのような効能があった筈なのである。にもかかわらず、しばしば反復は形骸化し、奇怪な行動となって本人を駆り立てる。その無意味かつ単調、しかも強迫的なところこそまさにホラーに値するだろう。

儀式。どうしようもない不安を呼び起こす状況をかりそめにこさえ、自らはその状況に翻弄される役柄からコントロールする立場へと移動することで不安を乗り越えようとする。・・・・。状況をこさえる、というより、あらゆる状況にそういった不安を巻き起こす型の状況を見い出してしまう、と言ったほうがいいか。そのような布置を否応なく見つけ出してしまう。しかし、新たに見出したこの状況の中で「私」の役柄は以前とは違うのだ、と。立場があって状況を作り出すのではなく、状況のなかでどう振舞うかが立場を決める、ということが先行しているということか。・・・・